2008年9月1日月曜日

各駅停車 いつもの中に、沈む

9/08/2008 ソワレ

この芝居の弱点を諸々あげつらうことはそんなに難しくなくて、かつ、それは、最前線のことを目指す反作用としてのコントラバーシャルさでもないのだけれど、でも、今後、
・テクニカル・技術的な点をきちんとつぶしていく・改善していくのだろう、そして
・その中でどうしてもつぶしきれないものが作・演出の個性もしくは劇団のカラーとして出てくることになるだろう、と思う。

出来・完成度と較べれば、好感度はもてた芝居、ということか。

個別に気のついたところをいくつかあげると、
・固有名詞は、例え特定の色がついてしまうリスクを背負ってでも、使ったほうが良いということ。「この街」とか「あそこ」という言葉の連発は、実は「芝居を遠くしてしまって」良くない。また、日本を覆っていると語られる戦争の気配についても、もっと具体的でないと。「匂わせる」のにしては言及の回数も多いし。
・ひとつの手として、「具体的なもの」「身体に近いもの」をもっと使えば、それが、観客の想像力スイッチに手を伸ばすためのパンくずとして機能するはず。屋上から見える景色とか、服装とか、もっと小さいディテールとか。
・その意味で、出だしのシーン、失敗。「ああだ」「こうだ」で引っ張りすぎて、だれた。荻野組の苦労がしのばれる。
・同じ青年団組でも、大久保は色物な分だけ得をしたか。
そういう点は、振り返って他山の石とすべし。その意味で、勉強になる舞台だし、変な年寄りじみた言い方すると、「若い人たちの、これからが楽しみな芝居」ということになるんだろう。

ただし、逆に言えば、「舞台にあげる前につぶしておけたはずのポイント」も数多くあって、それが放置されたまま舞台に乗っちゃった、ということもできる。それをどこまで許容するかについては個別に差が出てくるだろう。
「大学時代をしのぶ若者たちの再会」という、おおむね現代口語演劇の紋切り型に近いといわれても仕方がないモチーフも含め、数多い課題を次回までにどこまで消化して、もっときちんと舞台に載せられるかどうかが勝負。

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