21/09/2008 マチネ
正直に言います。
・ 芝居が進む間、なんだか、どってことない気がしていた。
・ 冒頭、「あれ、柴君の趣向のパクリかな?」と思った。
・ 途中、「もしかしたら長女はもう死んでいるんじゃないか?」とか、「一体誰の視線でこのハナシを追っていったら、こういう、のっぺりした風景が浮かび上がるのだ?」とか、ぼんやり思っていた。
・ その間、中野氏による和文タイトルを忘れて、原題の "The Happy Journey to Trenton and Camden" としか認識していなかった。
・ 最後、後ろの壁の文字と、和文タイトルを目にした瞬間に、背筋がゾゾゾーッと来た。
やられた。何の誇張もない。僕に起きたことそのまんまです。
といったことを振り返って、そして、考えてみると、そうした、ちょっとした夢みたいなことが、40分に収まってしまうようなところに僕らはいて、それは、現在かも過去かも未来かもしれない。この、時制のないのっぺり感の中に一定の感覚だけが漂って切ない。
その感覚が、同じ戯曲をもとにした短編映画の「日本を舞台にした、The Happy Journey to Boso Hanto」でもまた変な浮き上がり方をして、それも面白かった。
中野氏はワイルダー戯曲を誉めて誉めて誉めまくっていたけれども、僕は勉強不足でワイルダー作品読んだことがない。ただ、この芝居と中野×柴のアフタートーク聴いて、読みたくなった。
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