2018年3月10日土曜日

篠田千明 Zoo

27/02/2018 北千住BUoY

東京から何年か離れていて戻ってくると、街の中の情報量が多すぎて気持ち悪くなることがある。
例えば、電車の車内広告。
電車に乗る最初の何回かはそれらを「意味を持つ情報」として認識せずにスルーして、ただ、原色の色んなものが電車の車内に貼ってあるだけ、のように見える。
それが、何回か電車に乗ってると、どこかの瞬間で、いきなり大量の情報として、取捨選択を許さない情報の束として飛び込んできて、気持ち悪くなる。
そのうち情報の洪水にも慣れて、自分のプライオリティに即して処理できるようになってくる(僕はそうなった)。

コンテクストを与えられないもの、コンテクストの枠外にあるものは僕にとって意味を持たないので、スルーできるんだけれど、
自分がコンテクストに乗っかったり、言葉や色がコンテクストを持って提示されたりする瞬間に「意味」を持って入ってくる。

てなことを、篠田千明の"Zoo"を観に行ってからずっと、頭の中で反芻している。

実は、観に行く前は「この出し物、面白くないんではなかろうか」心配していた。というのも、
宣伝文句に「世にも珍しいヒト、という生き物を見るために集まってくる」とあって、
もしそれが「観る側と観られる側の逆転」とかそんな陳腐な見世物だったら、それには興味が持てないなー、と思っていたから。

が、実際は、篠田は「動物園」という戯曲の枠組みだけ借りてきて、口の悪いいい方をすると、「事前の売りやすいフレームの一つ」として使うことに決めて、で、
そのフレームに乗っかって、全然違うことをしているな、という印象だった。

会場に入って色んなものを見たり聞いたりする中では、「観る・観られる」関係よりもむしろ、聴覚の方が先に刺激される。
聴覚のアンテナのスイッチが入るきっかけは、いくつか会場内に準備してくれてあって、それは例えば、
a. 冒頭客入れ、サルは、意味から切り離した音を、画面で追いながら発声するように求められていること。それが壁に投影された絵で推測できること
b. 浴槽の縁に置かれた音出しスイッチのタイトル。「ドライヤー」みたいなノイズだけでなく、「セブンイレブン」「コンビニ」「ファミマ」といったタイトルもついていること
c. ドイツ人話者が話す「状況は完全にコントロールされています」の台詞が、ドイツ語・日本語・英語と、順繰りに言語をまたいで繰り返されるうちに、意味から切り離されて、面白い音を探る素材として取り扱われていくこと
自分の聴覚のスイッチが入ったのは、もったいないことに、後半のc. の場面で、そこで初めて、
自分の聴覚を調整しながら、意味の聞き取りと、無意味な音の聞き取りを行ったり来たりできるんじゃない? と思い始めた。
で、そこから逆算すると、既に冒頭からa. の仕掛けを提示されていたわけだし、
そういえば、b.にしても、上演の前半、スイッチのタイトルを見る前には「ただのノイズ」だったものが、タイトルを見てコンテクストの枠がはまってからは「意味を持つ音」として、少なくとも僕には聞こえてきていた。
そうした、意味と無意味の間、コンテクストの枠の内と外を、会場内を遊覧しながらゆらゆら愉しむ、というのが、もうちょっと早い段階でできていればなあ、と悔やまれた。

と、そんなことを考えてるうちに、あ!
視覚のコンテクストも、実は相当程度会場内で示されていたなあ、ということにも気づく。
例えば「ペンギンのマーチ」。
あれ、事前に動物園のビデオ見せて、場内放送流して、観客をコンテクストにはめてなかったら、ただの変な動きしてる人間じゃないか。
コンテクストがあってこその「ペンギンのマーチ」だったのか。
やられた。
あ。とすると、あの、ダンボール製のVRかけて動いてたのは、「VRのコンテクスト」の殻を被って動いてたってことか。
福原冠のサルは、「コンテクストを剥ぎ取られて、VR機器からの情報をただ追いかけることに集中している」から、人間じゃなくて、サルなのか。
視覚についても、実は、コンテクストの内と外を回遊する機会が、観客には与えられていた、ということで、
それに気がつかなかったことを今更悔やんでも後の祭りである。

後の祭りと言えば、何年か前の森下スタジオの「機劇」でも、デッサン会のコンテクストにばっちり嵌められたのを忘れていたか。
忘れてました。またもやすっかり嵌められた。

で、それに気がつきかけたところで終幕、福原冠の長台詞となって、
「この、VR外して一気に観客の目の前に出てきた福原氏の表情は、電車広告に囲まれて呆然とするオレじゃないか?」
みたいなことを考えていたら、ゴメン、台詞の中身全部聞き逃した。
もったいない。

もったいないから、再演してほしい。
今回のように、観た直後はこんな風に整理できてなくて、「なんだか難しいよ」と思って、それから何週間も、仕掛けのリバースエンジニアリングするのも、それはそれで楽しいんだけど、
それを理解した上で、さらにエンターテイニングな作品だったんじゃん、って、思いながら観られたらいいな、って思っているんだ。

って書いて、当日パンフ読み返したら、げげっ、まんまのことが当日パンフに書いてあるじゃん。
あーあ、オレ、ほんと、ダッセえなあ。上演の意図の答え合わせして悦に入ってるんじゃねーよ、って思ったけれど、
書いちゃったから晒します。
だから、ぜひ再演お願いします。