2006年6月13日火曜日

下北沢三福林健在!

今週は会社お休みして、古着とかガラクタとか古本の処分をしてます。

駒場に寄ったついでに、下北沢に昼飯を食いに出る。南口三福林がまだあるかどうかを確かめるため。

ありました。内装は1980年代後半に改装して一部で「カフェバー三福林」と呼ばれた当時のそのまま。
お店の方お二人も、当時と同じフォームで働いていた。三福林の真髄は、2人のフォームとコンビネーションにあり。

変わらぬフォームに万歳!涙出るほどうれしい。

変わったのは自分のほうか。学生時代は、昼飯から三福林に来ることはなかったな、と。定食の代金500-800円が自分にとってどれくらいの重みを持つか、も、正直、変わった。
三福林の変わらぬオヤジたちの定点観測は、街の変わり具合、人の変わり具合をどう測っているのだろうか?

聞いてみたい気もするが、余計なこと聞くとフォームを崩すかもしれないと思って自重した。また、今度は晩飯にでも行きます。

2006年6月3日土曜日

高円寺侮りがたし

10年前に倉庫に預けたままになっていて、腰が入らなくなったスーツの直しに行く。

近所のクリーニング屋に飛び込んで、どこかに洋裁屋さんがないか、親父に聞いたら、
100mくらい離れたところにある「洋服の病院」というお店を紹介してもらう。
入ると、「洋裁屋」のおばさんではなくて、「テーラーの店主」という風情の、メガネをかけてネクタイ締めた店主が出てくる。
腰を出すのに1着2100円。安い。
ということで、お願いしました。よかった、安心して頼めるところがあって。

今では、「テーラー(=紳士服仕立て屋さん)」って劇的に数が減っていて、昔は杉並区だけで200件近くあったテーラーも、今では25件くらいになってしまったそうです。

なんて話を伺った後、今度は、カラーボックスの棚に使うピンと、割れてしまった棚の代替に使う板の調達に入る。

やはりその近所に、なんとなく雑駁な感じの家具屋さんがあって、そこの親父さんに聞いてみる。
なんと、ピンがもらえた。ただで。
それではあんまり申し訳ないので、100円払う。
ついでに、棚板の話をしたら、店主、うーん、とひとしきり考えた後で、
「コンパネでいいですかね?」
100%OK。(コンパネって言葉も、むちゃくちゃ久しぶりに聞きましたが)
店主、店の裏からコンパネ引っ張り出してきて、採寸すると、おもむろに手ノコでコンパネを切り始める。
(切ってもらうかもしれないことを前提にメジャーで寸法測っていた自分もすごいが)。
店主、上手です。
お代は、「要らない」とのことでしたが、あまりの手捌きに、気持ち分払う。
店主、「こんなに要らないよ」とおっしゃって、さっきの100円は返してくれました。

うちに帰って付けてみたら、ぴったりでした。ありがとう、家具屋の店主さん。

高円寺、なかなか侮れない場所です。

そして荷解きは進む。

ダンボールの片づけの続きをやる。

本の箱は易しい。古本屋に売るものと残すものを分けるだけ。
難しいのは、写真と芝居関係の箱。

出演したすべての芝居の台本が出てくる。
学生のころに観た殆どすべての芝居の当パンが出てくる。
青年団に入るのを決めた時に観た芝居、「烏のいる麦畑」の当パンも出てくる。
初めて観た青年団の芝居「わが心石となりても」の当パンも出てくる。
「バンザイスワローズ92」ちゅうのも出てくる。
嫁さんの出産前の「Balloon」なんちゅう雑誌も出てくる。
ICUの2階教室でやった「桜前線」の写真がいっぱい出てくる。

娘が赤ん坊のときに使った、天井から下げるメリーゴーラウンドも出てくる。

新婚のときにいった長崎の観光地図が出てくる。
大学4年の時に祖父について行った北欧の観光地図も出てくる。

ここでは書けないような恥ずかしいものもいっぱい出てくる。でも、捨てられない。
(おいらに「ソクラテスの弁明」についてのレポートをお願いした、当時大学4回生の「由美ちゃん」って、いったい誰だよ!)


祖父が娘の名前を毛筆で書いた色紙が出てくる。部屋に飾る。

あぁ、こうやって、捨てられないものが増えていく。

みなさん、こういうふるーいものって、どうしてるんでしょうか?教えて!