2006年12月28日木曜日

National Theatre "Seafarer"

相変わらず Conor McPherson は良い。
観終わった瞬間に、「あぁ、いい芝居が観れて、オレはなんて幸せなんだ」
と思ってしまう。

初めてMcPherson芝居を観たのが1997年の The Weir で、その後幾つか観てますが、外れと感じたことが無い。
それは取りも直さず、「僕好み」ということなのかもしれないけれど。

話の筋は、まあ、言ってしまえば、
「クリスマスイブの晩に、悪魔が魂を取り立てにやってくる」
という話。
これを立派に芝居として力強く成立させる作者・演出の力はすごい。
役者も良い。The Weir や Shining City に出ていた役者がまた観れて、それも嬉しい。

主人公の履いてるジョギングシューズは、AsicsのNimbus7で、僕の履いてるのと同じバージョンでしたな。余談ですが。

勝手なことを言わせていただければ、志賀廣太郎・足立誠の兄弟タッグで観てみたい。柄本明さん・岩松了さんの悪魔はちょっと出来すぎかも、ということであれば、水下さんで。25年ぶりの再会だし。Ivanは畑澤聖悟さんで。おお、夢が膨らむのぉ。ほんと、いい芝居でした。

2006年12月18日月曜日

黒テント メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス

まず、開演前のパンフレットで、松本大洋さんが自分とおないどしであることにショックを受ける。デビュー当時から、4,5歳は年上かと思ってた。

そして、金曜日のナイスエイジの3時間半に始まり、青年団三本立て、同居人2時間15分と続いた週末の最後に差し掛かって、また、肩が泣きそうに痛い。

脚本は、予想以上に素直でストレート。
自営の長距離トラック運転手、ドライブインの人たちと、ラジオDJの話。
わざとそうなのか。ケレンなし。ひねりなし。
役者、てだれぞろい。これがまた、ケレンを見せない。
斎藤晴彦さん始め、あんなに色物やらせたら任せとけのような人が揃っているのに。

山奥のホテルで最高級の飲み物を出してくれ、と頼んだら、目の前で水道の蛇口ひねってコップに入れて出される。
えっ、と思いつつ飲んだらこれが天然の湧き水で美味い、といった趣きでした。

いい気持ちに酔っ払いたい人には薦めません。でも、シンプルな演技に徹するてだれどもの旨みを味わいたい方にはとっても良い芝居です。楽しみました。

ああ、もうこれで今年はお芝居は「ほぼ」お腹いっぱいです。ご馳走様でした。

同居人 隙間の蟻

山本了氏、「経済とH」では割と目の行く役者でした。かつ、何年か前の五反田団新年工場見学会での山本・政コンビの演技はよく覚えていて、あれは娘も非常に気に入ってました。

が、今回。演出としては甘い。役者が余計なことをするのを全く御していない。
「溜息をつく」「煙草の煙の行方をじっと見つめる」「にやっと笑いを浮かべる」「思わせぶりにちょっと遠くを見る」「はける前に一旦反対方向にかぶりを振ってブンッとはける」「目と目で見つめあう」「ぜえぜえ言う」 + 間。
こういう、1回やるごとに「お客が引く」+「芝居が40秒は確実に間延びする」一粒で二度不味いファクター、一骨一骨芝居から排除していくべき役者の不始末が、すべてオールスターで織り込まれていて、結果2時間15分。
きちんと削れば半分になる。そして観やすくなる。はず。

役者の良し悪し、戯曲の良し悪しは、きっと、その後に来るはずです。

2006年12月17日日曜日

ナイロン100℃ ナイスエイジ

志賀さんのいいお声を聴きに行った。
お元気そうで何よりでした。
佐藤誓さんも大変カッコよかったです。

最初は、世田谷パブリックシアターの小屋の大きさと客層とに、ちょっと身構えた。
6時30分開演というのも、サラリーマンの敵である。

で、入場してびっくり休憩挟んで3時間半。これじゃあ、6時半開演やむなし。これでつまんなかったら怒ろう、と思って見始めましたが、これがエンターテイニング。

3時間半、飽きずに観させ続ける技量はすごい。そして、飽きさせないためには何をすればよいのか(=何が面白いのか)について、想像力の働き方が極めて正しい(作者としてか演出としてか、それとも役者の技量か)。

じゃあ、こんな芝居がやりたいか。といえばそうでもない。
志賀さんが、青年団でもナイロンでも、どっちにいてもやっぱり志賀さんとして面白いところに、謎々を感じます。

てなことも含め、満腹しました。ご馳走様でした。

2006年12月10日日曜日

菅間馬鈴薯堂 夜明け舟

というわけで、今週末、金曜日からの6連戦の最終戦。
右肩は肩甲骨の裏側に画鋲を埋め込んだかのように痛む。
鎮痛剤飲んで王子に臨む。

と、なんと、王子小劇場が町の公民館と化していた!!
何だ、この、お年を召した方々の群れは!そして、小学生どもは!当パンに「ストリッパー」ってあるけど、いいのか?

募る不安。

で、芝居は、良かったです。
左に入れ歯がカクカクいう音、右には退屈した小学生が靴のベルクロをベリバリ言わせる音を聞きながら、最後まで、楽しんだ。

僕がいつも「ヤラレタ」と思うような方法論の冒険もないし、大きなケレンも無い。

が、観客に無理強いしない。しつこくしない。役者に無駄なことはさせない(時々無駄に怒声を上げさせるのはタマに傷だけど)。
だから、クサいシーンで「引く」前に、先に進んでしまう。一瞬泣かせにかかったか、と思うシーンでも、「タメ」を作らずスタスタ次のシーンに行ってしまうので、泣くタイミングを逃がす。このアッサリ感が、何だか大人である。だから、お年寄りの味覚に合う。

いや、肩の凝る芝居(マレビトの会、青年団、岡田利規)を観た後に、こういう芝居で締める事が出来て、本当に良かった。
終演後、肩凝りが引いてました(とはいうものの、バスに乗ったらまたすぐ痛くなったけど)。

なんだか、こうやって、肩の力抜いてお年よりも楽しめる芝居っていいよな、って昔考えてたのを思い出した。

新国立劇場 エンジョイ

芝居が始まってすぐに、
「スッげー細かい演出が入ってるな」
と分かる。

そして、「あぁー、こんな風に長ゼリが書きたかった。こんな風にダラダラとした長ゼリが喋りたかった」と思う。
五反田団を観て「オレは1989年にこんなことがやりたかったんだよ」と言った友人がいるが、
僕は岡田氏の芝居を観て「オレはずっとこんな風な芝居がしたかったんだよ」と言ってしまおう。
(でも、本当はちょっと違うけど)

こんな芝居を可能にしてしまう岡田氏のセンス+細部への視点に脱帽。
体の動きと台詞の連動をムリヤリ意識させられるという点で、役者かなりストレスを感じているはず。
それをこれだけのレベルで乗り切る役者もすごい。

方法論へのこだわりと、自己満足にしないエンターテイメントのセンスと、(話者の役柄交代や幕の始まり方といった箇所での)「これ、芝居なんです よー、言っておくけど、所詮、ゴッコなんですよー」という悪魔の耳打ち。それが、本当のギリギリのところまで手を抜かない戯曲・演出を経由して舞台に載っ ているので、ホント、始末に終えません。

1点だけかろうじてケチをつけるとすれば、フランスのデモの映像は何だか分からない。そういう説明を取り払って、もっと観客に任せても良いのではないか、と。どーせ、わかんない人にはわかんないよ。

で、終演後。肩が凝って肩が凝って、痛くて泣きそうだ。
そう。肩が凝る芝居ではある。見ごたえあり過ぎ。凄かったでした。

2006年12月9日土曜日

青年団 ソウル市民三本立て

1日三本一挙上演の暴挙。これは見逃してはいけない。ということで。

意外に三本一気に観る方多いみたいだ。

一番余裕を持って観られたのはやはり「ソウル市民」。
台本を良く知っているので、よそ見・わき見し放題。青年団観劇の醍醐味はミクロのわき道にあり、と常々思っている小生としては、嬉しい立ち上がりである。
安倍健太郎の大工の背中にまずシビれる。彼のたたずまいが、ソウル市民のみならず、三本立てのフレームワークを決めた。気もする。ちょっと褒めすぎか。

初演から17年ということで、懐かしさの余り滂沱の涙が溢れるかと思いきや、全然そんなことは無かった。ただただ、面白かったです。

1919。出戻りの幸子が内地で感じたと語る心境は、小生が今年日本に帰ってきたときの驚きとかなりかぶる。
「日本人がチラシ配り・ティッシュ配りをしている!」
いかに自分が、人種差別が根付いた国に暮していたかを思い出させる。
ラストシーンは、「お父さんのお父さん」を意識したのだろうか?気持ちは分かる。芝居をやるなら誰しも「あの、ブルーハーツ」はやってみたいと思うはずだ。でも明治時代にはブルーハーツはいなかった。
青年団を観る時にはあるまじきことだが、幸子の台詞に感情移入してしまったこともあり、この芝居からもっとも強く閉塞感を感じました。

昭和望郷編。この芝居、望郷でもなんでもないじゃん。誰が、どこの故郷を思うわけ?篠崎家の人々、ほとんどが朝鮮生まれじゃん。と、突っ込んでも良いのだが、オリザはそこらへん見越してきちんと仕掛けを作っている。でももしかすると後付けかもしれない。
時代の雰囲気としては、1991年のバブル崩壊前夜よりも、むしろ、今へのアナロジーを感じました。
なんだか、「成長なくして財政再建なし!」、「これからは、上げ潮で行こう!」みたいな...
あるいは、「中東に民主主義を!」みたいな...

で、3本観終わって: 「肩凝りがひどい」。
来週が思いやられるが、でも、僕にとっては何度観ても面白い芝居です。若手の役者の成長にも目を見張った。来週の三本立てがまた楽しみです。

マレビトの会 Autodafe

芝居を観て"ショックを受けた"のは久し振りだ。

Complicite の The Street of Crocodiles 以来、だと思う。

「え?これって、一体、どんなイミがあるのかしらねぇ?」
というオバさんたちのささやきが聞こえてきそうな芝居
(実際、ボクの隣の兄ちゃんは芝居の間ずっとチラシの束を読んでいた)。

が、そのイミを考える前に、イマ、舞台の上に載っている役者の動き、音、光をありったけ僕の五感にぶち込んでおきたい、隅から隅まで味わい尽くしたい。
でも、それがとても出来ないと最初からゲームを投げださざるを得ないほどの重量感と、幾層にも重なり合った微細な襞が、素晴らしい。

僕だって、いまだに、イミ、分かりません。有体に言ってしまえば、熔けて捻じ曲がり、焼けて灰となったモノたちの記憶が、墓守がシャッターを切るその一瞬の裂け目から姿を現す、そういう芝居でした。
でも、実はこの観方って、作者からすれば「なーんだ、全然つたわってねーな」と思うくらい見当はずれかも。まぁ、そんなことは、いい。
細かい<解釈>は、1週間経ってから、買ってきた戯曲を読んで机の上で考えれば良い。今日のところは、良い芝居を観た幸福感に浸っていよう。

そう、1週間経ったら、ど○ど企画の○山さんと松田さんの対談が載ってる当パンも読もう。芝居前に読むにはちょっと長いし、観終わった直後に読むのにはちと難しかった。

2006年12月3日日曜日

ポツドール 恋の渦

いかん。期待感が強すぎた...

出だし15分で作・演出・役者の技量を十二分に堪能。
あとは...うーむ...

劇評ならともかく、これ、日記なので、これで止めます。

2006年12月1日金曜日

パラドックス定数 Nf3 Nf6

また一つ、素晴らしい芝居を観た。
今年一番の二人芝居だろう(って、考えてみたら、二人芝居はこれしか観てませんが...)

収容所の地下室で2人の男がチェスを指す話。
後はバラしません。

アンケートにも書いたが、冒頭、最初の「すわれ」までは余計な説明シーンで、ちょっとドキドキする
(「まさか、38℃ はまぐれだったのか?」)
が、そこで10点減点した上で、100点満点の120点の芝居。

骨太のタイマン会話劇でありながら、チェスの駒を動かす手、チョークの動き等々、細部も観ていて飽きない。これは戯曲もよいが役者も演出もきちんとした方向感で神経が行き届いているからだろう。満喫した。

それにしても、野木さん、何故男芝居なんでしょうか?

高村薫の小説は実はハードボイルドの皮を被ったやおいである、ということは遍く知られているが、
ひょっとすると野木萌葱の芝居は、硬派男芝居の皮をかぶったやおいなのではないだろうか?
そうでもなければ何故この芝居のラストシーンはこんなにも切なく優しいのか(と、いきなり紋切り型だが、ネタバレを恐れてきちんとは言えません)、と思ってしまう。

(間違っていたらごめん。もう誰もが知っていることだったらやっぱりごめん。どちらにせよ、こんなことを口走ってしまいごめんなさい)

とにかく。だ。この面白さは少なくとも高村薫に肩を並べる。

この芝居、このレベルで2000円ははっきり言って安い。終演後の「是非観る場所を変えて再度どうぞ」に、コロッとなっちまいそうです。