2017年4月24日月曜日

Mark Thomas - Predictable (Work in Progress)

08/04/2017 19:30 @The Hen and Chickens

自他共に認める左翼アクティビスト芸人Mark Thomasが贈る最新企画は、観客と一緒に近未来を予測して(2ヶ月後と4年後)、その場で意見が纏まったら、その結果を賭屋に持って行って、一人1ポンドずつ(観客50人で50ポンド)賭けてみようぜ!という趣向である。

タイトルにあった"Work in Progress"というのは、まさにこの回がお試しバージョンだからで、Thomas自身、開演早々、「今日のお客さんはギニーピッグだからよろしく!」「まあ、オレにも一体全体これが上手くいくかどうかは分かんないよ!」って言ってたぐらいなので、そのドキドキ感は、まず、買い。
「まぁ、この回が上手くいかなくって、その後質が上がってLeicester Square辺りで上演することになったら、オレにメールしろや。自分の観た回は面白くなかったが、その礎の上にウェストエンド公演が成り立ってんだろ。招待券の一枚でも出せよ。って。まぁ、そんなメールオレに送ったところで、オレが応えてあげる保証はないけどね。ガハハ!」と、こんな感じである。

開場前に集めたアンケートに即してトークを進めていくのだけれど、流石Thomasのショーに集まってくるだけのことはあって、皆さん感覚が相当鋭い。
これから2ヶ月の間に、
・ トランプが宣戦布告する。実際には存在しない国に向かって。
・プーチンとトランプの情事が明らかになる。
なかなかどうして、皆様、硬派なわけです。そして、おもろネタを提出した人には、舞台上のThomasから、「それってどういうこと? これ書いたやつ、だれだよ!」という、遠慮仮借の無い突っ込みが入って、盛り上がる。

4年後予測は、
・ ナイジェル・ファラージュが総選挙に出馬して、100票も入らずに落選。
・ UKがメートル法を廃止。マイル法に先祖返り。
・ スコットランド独立。
これまた激しいなぁ、なんて他人事のように楽しんでいたら、

何と筆者の書いた4年後予測にThomasが「これ書いたの誰だよ?」筆者しどろもどろであった。
しかし、そこで筆者の話にきちんと耳を傾けてくれたThomasは、口は悪いがとっても優しいナイスガイオヤジだったよ。多謝!

60分、あっという間に過ぎた。これはまた、Leicester Square辺りで観られるだろう。

2017年4月23日日曜日

Limehouse

08/04/2017 14:30 @Donmar Warehouse

1981年、左派が主流だった英国労働党の中で、中道左派に近い四人組が離党宣言、他の議員も合流して新党「社会民主党」を結成した。その結成記者会見の舞台となったロンドン東部にある(後に大々的に再開発されることになる)Limehouseにあったのが、その四人組の一人、David Owenの自宅だった。

日本に当てはめれば、新自由クラブとか、自由党とか、国民の生活がいちばんとか、そういう類いの新党結成の瞬間を、河野洋平や小沢一郎の自宅を舞台に想像してみる室内劇、ということになると思う。ただし、これは、「政治を題材にした芝居」ではあっても、「政治劇」ではない。

この、一幕もの1時間45分の室内劇は、首謀者であるDavid Owenが他の3人に声を掛けてから4人で記者会見へと向かう迄の動きを辿るのだが、そこにあるのは、政治的信条だけではない。各人の生まれ育ち、人生観、保身、好き嫌い、プライベート等々。そういうものを一緒くたに背負った個人が4人集まって、さて、一つの政党を旗揚げできるのだろうか、ということ。4人の駆け引き、口論、離反、思いの交錯、そういうものが凝縮されて、ぐっと見応えのある芝居だった、
と書きたいところなのだが、うーん、同じSteve Watersの一幕ものであっても、一昨年のTempleと比較すると若干歯応えに欠ける。

それは、冒頭の台詞"The Labour is fxxxed"が、現在世界中の左派・中道左派政党が置かれた状況を余りにもあざとく意識した台詞であるように思われて引いてしまったからかも知れないし(ちなみにもとの戯曲には、そんな台詞は、ない!)、Owen役のTom Goodman-Hillの演技が若干暑苦しくてうざったく(臭く?)感じられたからかも知れないし、5人の登場人物を均等に押し出そうとした分、一人ずつの掘り下げが十分でなかったからなのかも知れない(Templeは、焦点をセントポール寺院の主教に当てた分、却って芝居全体がグイッと立ち上がっていた印象がある)。
いずれにしても、Templeの、個人の葛藤からセントポール大聖堂の向こうに拡がる世界へと続く遠近法が力強く見事だったのと比べると、パンチに欠けることは否めない。

いや、しかし、それにしても、Bill Rodgers役のPaul Chahidiは抑えた演技で素晴らしかったし、Shirley Williams役のDebra Gillettはとてもカッコ良かったし、料理とワイン、食事を挟んで起きる駆け引きは、若干あざとさを感じさせるにせよ、マカロニの焼ける臭いまで動員して一幕もの室内劇の骨格を支えていた。上質の、観るに堪える室内劇であったことは間違いない。

それにしても、だ。1981年のUKの政治情勢なんて、筆者はほとんどついていけないのだけれど、しかし、周囲の観客の平均年齢(70歳は超えていたのではないか)の高さと、彼らの食いつきの良さったら! Atley、Wilson、Thatcher、その辺の実名に即時に反応できていたのは流石。裏を返すと、その反応の良さが、「政治情勢」と「個人の葛藤」を並べて、遠近法のダイナミクスで見せようとする試みの邪魔をしていた(政治諷刺としての取られ方が強くなってしまった)のかも知れないが。

Pirates of Penzance

25/03/2017 15:00 @Coliseum

ギルバート・サリバンのコンビの人気オペレッタをENOで。オペラと言うには軽いかな。ヴィクトリア時代の作品をミュージカルと言うのもちょっと。ということでオペレッタ。
3階席、周囲は小さな子供を連れた親子連れ、孫を連れたお年寄り、お年寄り同士、等々、観客席の雰囲気も堅苦しい「オペラ」ではない。

筆者にとっては2000年のOpen Airでのプロダクションが、この「ペンザンスの海賊」の初見で、その時は、ただただおバカでご都合主義なプロットと、警官隊の剽軽な行進だけが印象に残っていて、肝心の音楽や歌はあんまり覚えていない。ギルバート・サリバンのオペレッタと言えば筆者は「ミカド」にとどめを刺して、あの、突飛なシーンでの超絶美しいメロディ群にはとても及ばないのでは、と思っていたのだが・・・

やはり一幕目はどうしてもピンと来ず。後半の「タラッタラーン」まで辿り着いたところで、ようやっとノれた感あり。大団円に掛けての盛り上げ方はさすがだけれども、うーん、前半からこれ位ぶっ飛ばしてくれていたらなあ、とどうしても思ってしまった。

しかしまあ、作品毎の差はどうしてもあるとはいえ、観ていて楽しめる作品であることは確かで、ヴィクトリア時代のドリフは100年経ってもやっぱり家族みんなで楽しめちゃうわけである。それは、とても喜ばしいことなのだ。だから、インパクト不足、美メロディー不足を恨む気持ちはさらさら無い。ま、敢えてギルバート・サリバンを観るなら、まず、ミカドから。とだけは申し上げたいですが。

2017年4月22日土曜日

Wish List

04/02/2017 15:00 @Royal Court Theatre, Upstairs

若手劇作家にコミッションを出して新作上演の機会を与え、次世代の劇作家を育てる方針を売りにしているRoyal Court。
今回観に行ったのはKatherine Soperによる"Wish List"。

Soperは20代半ば、ケンブリッジ出身の新進劇作家で、この"Wish List"はマンチェスターのRoyal Exchangeとの共同制作作品。
2015年に賞を取り、2016年にマンチェスターで初演。今回のロンドン公演に至っている。

メディアのレビューでは、
「引きこもりの弟と、バイトで自分と弟の生活費をかつかつ稼ぐ姉、それを取り巻く人々の、心の交流を描く作品」
とあって、ちょっと心配してたんである。ありきたりのハートウォーミングストーリー? 社会告発アジ芝居?

心配無用だった。余計な自己主張をしない、けれんのない、極々質素な造りの作品の中には、筆者が芝居小屋で観たいものがたくさん詰まっていた。

この芝居で筆者が最も美しいと感じたシーンの一つは、姉が職場の同僚とパブで話しているときに、不意に、堰を切ったように天文学についての情熱が噴き出す場面。渇いた日常の中から不意に驚くべき色彩が飛び出してくる瞬間は、筆者が劇場に行きたいと思う理由の中で最も重要なものの一つで、筆者は、この先何年経とうと、繰り返し、あの、突如きらめきを顕すまばゆい光を思い起こすだろう。

それを聞く同僚は、家族との葛藤を抱えつつも、如才なく、自分の行きたい方向へと環境をマネージできる人間として描かれている。その意味で彼はティピカルには「劇的」ではないのだけれど、実は、「劇的でない人」が舞台に乗っているということはとても大事で、同僚役の若い役者は、その役割を十二分に理解した、素晴らしい演技を見せる。

一方で、引きこもりの弟である。髪型にとりつかれて社会へのとりつくしまを無くしてしまったように思われる弟ではあるけれども、彼の周囲の、とっちらかった原色の絵の具が生硬にぶちまけられたような暮らしの中から、ラスト、すーっと、白色光が一筋差し込んで、空間が凪ぐ。それもとても美しかった。思わせぶりの感動的な台詞や音楽や後光が一切無かったのも好もしかった。希望というものが目に見える瞬間があるとすると、それは、思わせぶりの中にではなく、目を凝らさないと一瞬で消えてしまう一筋の光の中にある。その瞬間をきちんと舞台に載せてくれた作者・演出・スタッフ・役者に、心から感謝する。

ついでに言うと、この、「裂け目」と「日常」の行ったり来たりは、実は同じ日に同じ劇場の別の階で上演されていたCaryl ChurchillのEscaped Aloneでは、もっと直截に、暴力的に提示されていて、かつ、素晴らしい芝居で、だから、この日、この二つの芝居が同時に上演されていたRoyal Courtは、またとないほど幸福な時間を迎えていたはずで、そこに居合わせた筆者もとても幸福なときに居合わせた、ということになる。それは、芝居がはねた後にバーで水を飲んでいたSoperが、「あ、Carylが帰っていくよ!」と、その偉大な劇作家の後ろ姿を指して言ったときにも、ちょっとだけ感じたことではある。

2017年3月30日木曜日

Beware of Pity

12/02/2017 15:00 @Barbican

2015年末、ベルリンで初演されたSimon McBurney演出の大傑作。英語字幕も出来上がって、待望のロンドン公演。
初演時、筆者はたまたまベルリンに来ていて、ドイツ語を100%解しないまま劇場に突撃、字幕無し上演後に「すごい芝居を観た!」と確信したのだが。

<当時の感想は以下の通り>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/01/ungeduld-des-herzens.html

今回、英語字幕付きの上演。
話はとてもよく分かったよ。あの後、ツヴァイクの原作小説も(途中までだけど英語で)読んだし、筋書きはとてもよく分かったよ。登場人物が何言ってるかも分かった。
でも、字幕と舞台を交互に見ていると、それによって失われる情報量が凄まじい、ってことも良ーく分かったんだ。

ベルリンで観たときの、あの、とにかく五感を総動員して何が起きているのか、誰がどんな反応しているのかを追い続けた体験と比べると、
トータルで舞台から受け取った「質量」が遙かに小さくなったと感じた。

ラストシーンも、(ひょっとすると、バービカンの小屋の大きさに比してスクリーンの大きさが小さかった、ということも作用したのかも知れないが)ベルリンで観たときの「ドドーン」というインパクトはない。
正直、字幕の方に意識が半分行っていたからだ。
自分的には非常に残念な観劇体験となった。作品にではない。自分自身にである。
そして、日本の芝居を「字幕付き」で英語圏に持ってくる時の限界も考えてしまった。ネイティブで言語を解する人とそうでない人との間での、受け取る情報量の落差は如何ともしがたい。

2017年3月29日水曜日

Us/Them

18/02/2017 20:00 @National Theatre, Dorfman

昨年のエディンバラで大好評を博した、ベルギーのカンパニーによる2人芝居。今回ロンドンはNational Theatreに登場。

<昨年観たときの感想はこちら>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/09/us-them-edinburgh-festival-fringe-2016.html

昨年観たときよりも、公演としてこなれた印象。悪く言えば、小屋がNTだから、ということもあるのかも知れないが、若干よそ行きな感じがした。
明らかに「上手に」こなしていて、昨年の、ともすると勢いで乗り切ろう、という面は削られていたのは良いのだが、
「こなして話しを前に進めている」感じが、時々見えた気がして。

エディンバラで観たときはSummerhallの、「学校の階段教室を改造しました」感溢れる雰囲気の中での上演だったのに対して、
今回は見るからに「スタジオ方の中劇場です」感溢れるDorfmanだった、というのも多分にあるのかも知れない。

入ってくる観客が、エディンバラの、芝居をよく観る人、観ない人、関係者の若い人、というミックスから、
ロンドンの、情報感度の高い観客に絞られてしまったからかも知れない。

ひょっとすると、筆者自身が「2度目」ということで、集中力を欠いていたのかも知れない。

どうだったのだろう? 例えば、SPACや芸劇に持って行ったら、観客層の雰囲気も相当違うから、今回と異なる緊張感で観られるのかも知れないし。どうだろう?

Hamlet

25/02/2017 19:00 @Almeida

ロバート・アイク演出、タイトルロールにアンドリュー・スコット(シャーロックのモリアーティ役だった人)を配して、アルメイダからお送りするハムレット。
きりっと締まった、幹のぶれないシェークスピアを期待して出かけたが、結果も、ほぼ、期待に違わず。
「ほぼ」というのは、この3時間45分の上演の、最後の5分で、え!え!え!?ってなったからで、そこは末尾に<ネタバレ>として書きます。

舞台装置・衣装等々を現代に置き換えて、ニュース映像はデンマーク語で流す趣向。父ハムレットの亡霊は場内遠くに見えるのではなく、セキュリティ監視カメラの向こう、ディスプレイ越しにはっきりと映ったりする。ハムレットの人物造形も、平たくいえば抑えめ、誉めていうなら現代口語演劇風、くさしていうなら(多分)パワー不足の焦点がはっきりしない演技で、筆者好み。ハムレットの言動や感情の振れ幅がそもそも大きいのだから、それを全部増幅して舞台に載せるとハムレット個人に全体が振り回されてしまい、主役に頼った「スター芝居」になってしまう。今回のアイクのハムレットには、それを極力避けたいという意図が感じられた。

クローディアスのアンガス・ライト、ガートルードのジュリエット・スティーブンソン、オフィーリアのジェシカ・ブラウン・フィンドレーと、アイクの座組でおなじみの役者を揃えて、周囲の状況をキリッと輪郭づけ、ポローニアスのピーター・ワイト(一昨年のThe Red Lionsに出てたんだ!)とローゼンクランツ・ギルデンスターンのコンビ(出落ち気味に登場!)が微妙にコミックリリーフの役割を与えられて、渋すぎないように全体を組み立てる。その中にハムレットを放り込んで、個人の振れ幅は飽くまでも全体の枠組みの中に抑えて下さいね。ただし、注ぎ込むエネルギーの総量を抑えろといってるわけではないので、そこのところよろしく! って言ってる気がする。

アンドリュー・スコットはそこにきっちり応えて、多少手がヒラヒラしすぎかな、という気はするものの、現代風の、振れ幅ダダ漏れでない、でも、確実に危ないところへと進んでいくハムレットを演じて、見飽きない。アンガス・ライトのクローディアスが、なんとも「ひょんなことで国王になっちまった(あるいは、ひょんなことで前王を殺しちまった)」王を演じていて素晴らしい。前王ハムレットの「こいつひょっとして亡霊のくせに嘘ついて息子を煽ってるだろう?」的な何とも読みにくい振る舞いも良し。ジェシカ・ブラウン・フィンドレーには、ワーニャ伯父さんの時の突出した素晴らしさはなく、むしろ、冒頭スカートの不釣り合いな短さとヒールで歩くときの前かがみの姿勢が気になったけれども、兄レアティーズの前に現れたときの演技は圧巻。

そういう枠の中でのハムレットの物語は、定番の「ガートルード・ハムレットのマザコンねっとりな関係」「かまって光線バシバシ(©平田オリザ)のハムレット中二病描写」を排して、極めてドライに進行する。味がくどくないから、3時間超えてもお腹にもたれない。かつ、あ、これ、やべー、という感じが、しっかり伝わってくる。これまで筆者が観てきたハムレットの中でも出色のプロダクションだと思う。

<で、ここからネタバレ>

で、これだけ抑えて3時間45分進行しても、でも、やっぱり、最後はみーんな死んじゃうんだよね。そのカタルシスに対する照れくささは、みんな死んじゃう以上、拭い去れないわけで。さて、どうする?
2013年に上演された多田淳之介のハムレットは、みんなが死ぬシーンの前で芝居をぶったち切ってしまって、それはそれで「おお!」と思ったのだが。
今回のアイク演出では、ラスト、死者たちは、舞台上に設けられた大きな窓(引き戸)の向こう、舞台奥へと一人ずつ去って行く。舞台奥では、冒頭に現れたパーティーの続きが展開しているようにも思われる。それを舞台奥に感じながら、客の方を向いてニヤッとするハムレット。舞台奥のピクチャーに自分も加わろうとしているのか?
ん? これは、いやいやいや、これは、あれですか?

シャイニング

ですか? 舞台奥に加わって、みんなが満面の笑みで写真撮影したら、まるっきりシャイニングじゃないですか?その写真がお城の壁に飾られる、っていう趣向ですか?
とまあ、実際にはシャイニングみたいには終わらなかったのだけれど、でもね、終演後、一緒に観てた娘に「あのラストは一体何だい」ってきいたら、何と、娘曰く、

あれは、タイタニックのラストです。

世代差はあるにせよ、同じようなことを感じていたらしい。筆者、タイタニックは観ていないので何とも言えないが。
いやはや、「時計の着脱」の意味づけについてもアイクさんに聞いてみたい気がするが、いや、でも、なにもシャイニングとかタイタニックにしなくとも、十分締まった見応えのある上演だったと、筆者は思ってるんですよ。そこら辺、どうですか?