12/09/2015 19:45 @Royal Court Theatre, Jerwood Theatre Upstairs
とある田舎育ちの少女が、街で出会った男と駆け落ち同様の結婚をしてから、すっごく悲惨な目に遭った末に故郷の村に戻るまでを語る、これもやっぱり語り芝居。
相方の男優(1人)が色々な役で絡んでくるので、独り語りではない。
話のフォーマットも筋書きも、取り立てて奇をてらっているわけではないのに、最後まで目が離せない、密な舞台だった。
昼に観た芝居と比べても、予算の面でも、細部の凝り方を観ても、決して「上を行っている」とは言えないのに、観客への迫り方は圧倒的に力強い。
相方の男優が色んな役で出てくるのも良くあるパターンだし、簡単にチープな芝居と切って捨てられてもおかしくない「着飾り方」の芝居なのに、観ていて飽きなかった。
まずは舞台。変則的な形をしたRoyal Court Theatre最上階のスタジオに入ると、その壁の二辺に沿って、紅の幕が下がっている。舞台奥に"LENA"という名前が電飾が飾られ、舞台中央にはふたが開いて収納になるソファ。舞台下手に天井からつり下がったハンギングチェア。いかにもチープな地方の公民館にやって来たどさ回りの芝居という風情。
観客を笑顔で迎える、ぱっと見ルイス・スアレス似の男優は(文字通り)金ぴかのスーツに銀の靴。ハンギングチェアに「夢見る少女風」に表情を浮かべ、それに相応しい衣装を着た女優。
このチープなフレームが、実は、すごく良かったなぁ、と、芝居が終わってから思えてくるのだ。
この女優Katie West、特にしなを作るわけでもないし、かわいこぶっているわけでもないのに、目が離せない。
冒頭の少女語りの時から、何故か時として老いた感じがわき出してきそうな気がしているのだ。年齢は20台後半から30台前半か、
北の訛りの英語で、笑顔を絶やさず、時としてすごく早口で喋るのだが、不思議に話についていけなくなったりはしない
(彼女の早口については、終演後、客席にいた老齢の女性が、「あのこはちょっと早口すぎたわよね」って言ってたので間違いない)。
おそらく、「音」として、このアクセントとこの音程、解像度が、僕のツボに嵌まっているんじゃないかという気はする。聞いていて気持ちいい。
口のわきに若干大きめのニキビあるいは吹き出物が2つ。これも、場末感を醸し出すためにわざとやってるんじゃないかと思えてきたりする。
(この場末感と年齢不詳感は、一種、緑魔子さんにも通じるものがある。)
この「少女」が、まさに色んなひどい目に遭った末に実家に帰ってくるまでを、ほとんど泣きを入れずに(いや、泣きはどうしても入ってしまうんだよね。エディンバラでもそうだったけれども、女の一生ものの語りには、もう、付き物だと思ってあきらめるしかない・・・)、語るのだが、それが、どんなに悲惨な展開になっても
「わたしって!本当に可哀想!」
に落ちていかない。ここでは物語については紹介しないけれど、とりあえず、本当に悲惨な話なんだ(そしてどうもこれは実話に基づいているらしいのだ)。
それでも、劇場中が「ああ!本当に可哀想な話ね!」
の同情の渦に落ちこんでいかないところに、この芝居の力強さと、意志の力を感じたのだ。
(また別の老齢の女性は、夫に「こんな物語だと知ってたら観に来なかったわよ」とのたまわっていたが。)
出てくる男達もことごとく、ひどい男達揃えて、その癖言い訳はごまんと取りそろえて最低の奴らなのだが、芝居の機能としてうるさくない。
そうした芝居の作りが、実は、舞台のチープな作りと100%マッチしている。
語り手の居場所をきちんと作ると同時に、それを聞かされる聴衆の視線の在り方を試す構造になっていて、そこで腰が決まっているから、骨太な芝居に作り上げることができていたんだな、というのは、劇場を出てから気がついたこと。
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