2015年9月11日金曜日

Iphigenia in Splott (Edinburgh Fringe Festival 2015)

30/08/2015 13:50 @King Dome, Pleasance Dome

Gary OwenのGhost Cityを訳したのは1年ちょっと前。その時に消化しきれなかった部分を解決したいというのもあって、彼の芝居は努めて観るようにしている。

今回の書き下ろし、今年初めにウェールズで初演されたときには評判が良かった芝居。
この前Royal Courtで観た "Violence and Son"が今一つだったので、今回もドキドキではあったが、ぐっと覚悟を決めて観に行った。

そして、よし!相当気合いの入った、かつ、輪郭もフォーカスもくっきり立ち上がった、質の高い芝居だった。
Ghost Cityでいうと、後半の、ドラッグをいけ好かないビジネスマンに売りつける二人組の話を膨らませて突きつけてきた感じ。

タイトルのイピネゲイア(英語だとイフィジナイア)は、ギリシャ神話に出てくるアガメムノンの娘で、トロイ戦争出陣の際、戦勝のために父自身の手にかかって生贄として捧げられる。
一方、Splottってのはカーディフ市内の地域の名前(区、みたいなものか)で、一言で言えば、ガラの悪い街ですな。
UK Crime Statsによれば、ウェールズで9番目に治安の悪い地域ってことになっていて、特に街娼どうするか、について議論されてたりする。

芝居の設定は、この、Splottに住んでる街娼、Effieによる独り語り(ネタバレが本当に嫌いな人はこの先何行か、読まないで下さい。でも、ストーリーのネタバレはこの芝居の美徳を一切損なわないと考え、敢えて書いてます):

家族のある傷痍軍人と一夜を共にして、ガラにもなく本気になったところが捨てられて、妊娠していることが分かって、産むことに決めるのだけれども、極端な早産に加えて地元の病院には産婦人科病床も人手も足りておらず、別の病院に搬送される途中で救急車が雪でスリップして結局たどり着けず死産になってしまう、っていう、極めて救いのない話。

が、観客は、その物語に動かされるわけではない。演者の所作とか、語り口とか、舞台の様子とか、そういうものに晒されて、で、感情が動くのではないかと僕は考えている。少なくとも僕はそうした「可哀想な物語」に動かされる観客ではない。
もっと言うと、観客はきっと、平田オリザの東京ノートの台詞にあるように、
「芝居を観ているときに、自分は一体何を見てるんでしょうか?」という謎々を常に自分で問いかけているのである。
演者を観ているのか?そこで語られる物語を聞いているのか?それを聞いている自分を後ろからもう一人の自分として観ているのか?

この芝居の最初の台詞は、それへの問いかけである。最後の台詞も、観客への挑戦である。そういうネタバレは、ここではしない。
最初と最後の台詞でフレームがかっちり決まった時点で、この芝居は「勝利」している。
そして、役者がそこを勘違いせずに、焦点をずらさずに、演じきったことで、この芝居は生を得ていたのだと思う。
Effiが世界を観る視点と、演技者が観客を見る目線。その先にある世界と観客と、それを感じながら演技者=Effiを観る僕と。最後までその焦点が緩まない、素晴らしいパフォーマンスだった。

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