2015年9月14日月曜日

Cracked Tiles (Edinburgh Fringe Festival 2015)

31/08/2015 09:05 @Zone Theatre, Spotlites

前評判が高かったわけでもなく、大入りだったわけでもなく、ただ、朝9時5分から始まる芝居が他にないし、というかなり消極的な理由で観に行った芝居だが、いやはやどうして、心に残るステージだった。
オフィスビル(開演5分前になるまで、ビルの入り口に入ることすら出来ない、本当の会社の入ったオフィスビル!)の地下の奥深いところにある、キャパシティ20人弱、ちょうど、ゴールデン街劇場を更にもう一回り縮めたような中での独り語り。観客は僕を含めて4人。プラス関係者1人。

で、客電が消えて、パフォーマーが出てきた瞬間に、あぁ、オレはこんな場所で、こんな芝居が観たかったんだよ、って思ったんだ。
台詞語り始める前から。芝居が始まるか始まらないかの、その瞬間に。
エディンバラに来て、フリンジ大好きで、幸せだなー、って思ったんだ。不思議だった。その瞬間だけはずっと忘れないだろうと思う。

肝心の芝居の方は、というと、これは、やはり男性独り語り。イタリアから移民してきてグラスゴーでサンドイッチ屋を営む父と自分のこと。
終演後、演者が「かなりパーソナルな思い入れのある話をした」と語っていたので、彼自身のことが相当程度入っていたのかもしれない。
実際、グラスゴー訛りは、聞き取れない・・・きつい・・・
(演者が小生と目を合わせないように苦労していたのは、やはり、自分の訛りは日本人にはキツかろうと思っていたからだろうか?)
そしてナレーターの父はイタリア訛りで、これは、聞き取れる・・・

語り手としてあまりこなれた感じはせず。
「語り手としての地の部分の語り」が、素直で真っ直ぐすぎて辛いときがある一方で、例えば、サンドイッチ屋の常連客や、イタリア人の祖父母を演じるときの、「ちょっと離れて観た客観目線」と「子供の時の自分が観ていたときの印象目線」のバランスがどうにも面白くて、で、「語り」と「他人を観察した目線」の落差が素直に出てきているのがとても面白かった。
あぁ、この人は「油断ならないと思わせないし、実際油断していて良い、真っ直ぐな(いい人な)語り手なんだな」ということもよく分かった。
それは美徳であると共に、ある意味、コクに欠けるのだけれど、いやいや、それを上回って、「場」としての親密さは相当なもので、いや、これがあるから、フリンジは止められないんです。

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