2008年6月1日日曜日

文学座 風のつめたき櫻かな

31/05/2008 マチネ

平田戯曲は割と余地を残さないように書いてあって、調子っぱずれの演出が入ると本当に救いようの無い芝居に仕上がってしまう。平田戯曲に限らず 「現代口語演劇」系の戯曲に思いっきり新劇な演出がついてぶち壊し、という例は、小生が幸いにも目にしていない例も含め、枚挙に暇が無いものと予想され る。今回も、今だから言えるが、それをちょっと心配していた。

僕は戌井演出の芝居を観るのは初めてだが、今年の初め、青年団若手の「革命日記」を観に、春風舎にいらしてたのを目撃した時はちょっと衝撃だっ た。90を超えたおじいさんが、春風舎の螺旋階段を下りて、青年団の「若手公演」を観に行くのだから。その筋に長けた老人は何と恐るべき貪欲さを備えてい ることよ、と、その時は思っていて、だから、今回の芝居、その点は、逆にとっても楽しみだったのである。

して、その結果はといえば、作者と演出家がお互いに敬意をもって芝居作りに臨んだことが全体から窺われる、幸せな、末永く愛されるべき舞台が出来上がっていた。

平田戯曲は「新劇のベテランによって演じられること」を前提に、そのプラスマイナスを計算に入れて書かれているという印象だった(例えば、台詞の 長さ、おそらくト書きの指定、等々)。一方戌井演出の方には、平田が用意した「長台詞聞かせどころポイント」「泣かせポイント」を、どうしたら従来の新劇 の観客層にきちんと伝えつつ、そこで流れを止めないようにするか、に腐心した形跡が見えた。と思う。役者もその要求にうま~く応えていた。

戯曲は、久保田万太郎を下敷きにしながら(未読だが、そう言っているので)、花郎+さよならだけが人生か+光の都(チャンピオン)、の組み合わせ。
文具屋の市山は、実は市沢文具店である。喫茶ラインは、実はイーグルである。ラインというのは散髪屋の名前である。金物屋とパン屋は、実は同じお 店でかどやと呼ばれている。電気屋は東○電気である。宵町商店街のおじさんたちは、きっと、高校野球トトカルチョで一斉にしょっ引かれたり(誰か身内にち くるヤツがいたから)、酔っ払って「宵町商店街は、負け犬だぁ」と叫んでみたり、そういう人たちである。そんなことを考えて観た。平田は下町っ子ではない けれど、東京地元っ子であることは間違いない。

1つ気になったのは、太一が「わかさぎの甘露煮と土浦の蓮根」という台詞を言った時に、客席から、「ツチウラのレンコン!?」という、ものすごい 反応が起きたこと。いやいや、そういう、僕なら100%スルーしてしまうような台詞に反応が出るというのには、スッごく驚いた。きっと、その台詞にものす ごいリアリティ(いや、もしかすると違和感)を感じた観客がいたわけである。
後で調べたら、土浦は、日本一の蓮根の産地だそうだ。なるへそ。

やっぱり大方の泣かせポイントでは泣けなかったけど、最初に桜の花びらがカウンターに乗っかっているシーンでは、ちょっと、来た。単純な仕掛けだけど、そういうのが良い。坂口さん、トレンチコートで出てくるとき、実はその中に、「わたしは、櫻の精よ、うふ」っていうような、ジュディオング張りの桜色フリフリドレスを着込んでいたのではないかと思わせる。そんな遊び方(遊んでいるな、という思わせ方)も、僕には丁度よい塩梅だった。

気持ちよい舞台だった。

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