2008年6月29日日曜日

新国立劇場 混じりあうこと、消えること

28/06/2008 マチネ

芝居本編1時間半、アフタートーク1時間20分。
芝居本編は、これ、1時間半かけなくていいんでないの、1時間10分くらい?三条会なら35分?ってな具合で、若干台詞の言い方等々間延びした印象もあって、途中ちょっと眠くなったりもした。

戯曲の体裁は「前田不条理劇ワールド」。登場人物が「思わず口に出す言葉」が、それ以降の登場人物それぞれの行動を規定していく、そうやって、い きあたりばったりに物語が紡がれていく、そのプロセスが良く見えるお話だなあ、という印象。こういうの、おままごと、っていうんだろうと、自分の脳内では 「大人のおままごとワールド、顔と身体つきは大人の役者が演じてるけど、実は全員7歳児だと思って観てください」という芝居なんだろう、と思っていたら、 アフタートークで、「神話を作ろうとしてたんです」という話を聞いて、目から鱗でした。

これもアフタートークを聞いた後で腑に落ちたのだが、やはり、白井晃演出と4人の役者は、「そこで何が起きるのか」に集中し切れなかったようで、 どうしても「背後の物語」「人物の背景」がないと演じられ/演出できなかった、という印象。五反田団でなら目に付くであろう「余分な細部」とか、「あらぬ 方向に妄想スイッチを入れる仕掛け」は残念ながら観られず。要は、紋切り型を紋切り型からもう一段羽ばたかせる仕掛けは欠如。

アフタートークは白熱の1時間超、元NHKの堀尾アナ、新国の観客を1人でしょって立って、「分からない」「意味が分からない」「どういう意 味?」を連発。堀尾氏は「いわゆる観付けた観客」のpatronisingな態度までしょっちゃってるもんだから、途中で前田氏マジ切れ
「僕のことバカにしてませんか」「例えばNHKのアナウンサーの方だとそういう風に見えてしまうと思うんでしょうけど」
等々、おいおい、君の言葉そのまま新国立劇場の観客にざらついてるぞ、みたいな感じで進む。間に挟まって困る白井晃氏、その中庸ぶりが芝居の中途半端さを象徴しているようにも思えた。

パートナーにそのことを教えたら、「身を挺して前田君からピンポイントの説明を引き出そうとした堀尾アナの態度や善し」とのご託宣。うむうむ、ごもっとも。堀尾アナのお蔭で、

「演出の違いはセブンイレブンまでの行き方の道順の違いみたいなもの」
「現代の神話を作ろうと思った」
「分かることは、カテゴライズすること。あっち側とこっち側を、分けること」
「混じりあうこと、消えることは、境界を無くしていく試みであること。前田氏はアプリオリな定義づけ・条件・境界にざらついた違和感を感じていること」

等々、前田氏の重要な発言もバッチリ聞けたのだから。

前田氏は日記で曰く「司会のアナウンサーの方は東大出身に違いないと途中から勝手に思う。」
うんにゃ、それは違うぞ、前田君。東大君は、観客をしょって引き受けたりしないぞ。どっちかとゆーと、客席に隠れて独り愉しく妄想を膨らませてるぞ。

というわけで、芝居よりもアフタートークの方が面白くなってしまったのは残念だけれど、戯曲そのものはとっても大好き。是非五反田団で観てみたい。もちろん少女役は立蔵葉子、いや、中川幸子?うーん。迷う。

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