2008年6月21日土曜日

toi あゆみ

18/06/2008 ソワレ

初日。
黒子衣装の女優10人が歩んでみせる女の一生。ベタな物語に白黒の舞台なのだけれど、観終わってみると、凄く沢山の色付けが各シーンでされていることに気がつく。

ベタな物語であっても、シンプルな舞台であっても、その中から溢れてくる役者の「個」を観る喜び、そして、随所に出てくるすっごく個別の要素をきっかけとして自分の物語/妄想/想像のスイッチを入れる喜び。僕が芝居を観る喜びのツボにはまった芝居である。

芝居がはねた後、結構興奮して色んなことを喋り散らしていた気もするが・・・例えば、柴演出のファシズムと演出のデモクラシーについて(何のこっちゃ)、100人市民演劇構想、東京デスロックにおける山本雅幸の脛毛・・・今となっては自分でもその脈絡は不明だ。

で、どんな芝居なの?と聞かれたら、やっぱり分かりにくい喩えだが、ロンドンのアパートから見えた、ヒースローを離陸する旅客機みたいな話だ、と言おう。
僕の昔住んでたアパートの窓からは、ヒースローをきっちり40秒ごとに離陸する飛行機達が、左前方の木のこずえから、右の窓枠上方へと斜めに視界を横切っていくのが良く見えた。
一機目が窓枠左からゆっくりと右上方へと、僕の視界を横切っていく。
飛行機の尻尾が隠れる頃、今度は、左側、同じ木のこずえから、ほぼ同じ位置・角度・速さで次の旅客機が現われる。右へと横切る。
それが消えかける頃、次の飛行機が・・・
ぴたっと同じ動きを繰り返していくのだけれど、それは、スイス航空だったり、全日空だったり、ノースウエストだったり、そして、同じコースをそこでは辿っていくのに、じつは僕から見えないところで世界中の色んな場所に分かれて飛んでいくのだろう。なんだか不思議な気がして、見ていて飽きなかった。
この「あゆみ」も、おんなじくらい、いや、それ以上に、いくら見ていても飽きない芝居です。

<以下、ネタバレ気味に>

歩くペースであゆみの人生を辿っていって、山登りでスピードが遅くなる。すると、先読みする観客の常として、
「あ、終わりに差し掛かってきた。いつ、歩みが止まるのだろうか?」
というドキドキ感が高まる。
で、「立蔵葉子が止まった!」と思った瞬間に、それまで抑えたスピードに蓋をされていたものが舞台上にぶわーっと弾けて出てきて、思わず涙が出た。
そこで一回緩めておいて、その後はゆるーくふわふわと流していく緩急良し。

照明は工夫の余地有り。2人並んで歩く時、奥側の人の顔がくらーく見えちゃったのはもったいなかった。

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