2008年6月21日土曜日

Hana no Michi II @東京日仏学院

20/06/2008 ソワレ

結構疲れていたので、僕の頭が変だったのかもしれないけれど、変なパフォーマンスだった。

通常は、
・ 役者が舞台上でテクストを発声する
・ 観客はそのテクストを聴き取る。意味を考えたり、時には、声質や音程や他の役者とのからみを「音をmass(質量のあるもの)として聞いたり」する
・ で、観客は、「役者が何を言ってるかわかんない」とか「意味がわかんない」とか「新聞の朗読みたい」とか「クサい」とか「気持ちが伝わってきて良かった」とか「魂を揺さぶられた」とか、色々勝手なことを言う
ということが劇場では起きるはずなのだけれど、エスパス・イマージュで僕に起きたことは、

・ 発声される、もしくはスピーカーから流れてくるテクストは、ほぼ耳を素通り。逆に、バックグラウンドのノイズのように、全体の雰囲気を規程するように働いていた
・ その一方で、プロジェクターで投影されるイメージは、布団の上でリモコンをいじったり、寝返り打ったり、騒いだり、飛んだり跳ねたり、笑ったり、と、むしろ、テクスト以上に雄弁に物語のきっかけを観客に与えているように取れた。
・ また、壁や舞台面に書き付けられるテクスト(文字)達は、そこに付着することによって、聞き流される・見過ごされることを拒否し、その場に踏みとどまろうとしているのだった。
・ じゃあ、舞台上の役者には何が起きているかというと、文字を書き付けたり、プロジェクターに投影された影絵の黒子であったり、なんだか、「私を見て!」的な動きはしていないぞ、と。

自分なりにまとめてみれば、通常は前景にあるはずの役者+テクストが、まさに発声されるテクストであるがために後景へと退いて、代わりに、普段は舞台の上で大きな顔をしていないもの(「文字」とか)がうじゃうじゃと湧き出してきたような印象だった。そういう面白がり方は、おそらく演出家の本意ではない気もするが。

それはそれで(僕にとっては)良いのかもしれないけれど、7月の「ハナノミチ」パフォーマンスで、もしテクストがもっと「伝わる」ように演出が変わっていったら、それは僕にとっては面白くないのかもしれない。

0 件のコメント: