2008年5月3日土曜日

熱帯 次の曲をかけるのは誰だ

02/05/2008 ソワレ

劇中の音楽の使い方も、色々考えると実は難しい。まず、
・ その曲が劇中人物にも聞こえているという約束なのか、それとも観客にだけ聞こえるのか
・ 劇中人物に聞こえているとすると、どこから聞こえているのか、誰がかけているのか
なーんていう、簡単なお約束に対して創り手が意識的かどうか、という線引きはある。

最近は客入れ時にも音楽を流さない劇団が増えてきた。それはそれで、「意識」した使い分けをしてるということなので、僕としては喜ばしい。

劇中だと、最近は「悲しいシーンで悲しい曲をかける」とか「ドラマチックなシーンでドラマチックな音楽がかかる」みたいなクッサーい音楽を使う芝居には行かなくなったから滅多にそんなのには出会わないが、テレビでかかっている
「さあぁ、ここで明るくなって!」「さ、ここで悲しくなって、涙流して!」
みたいな音楽が耳に入るにつけ、おそらく巷にはそのテの悲惨な芝居がまだまだ溢れているに違いない。

で、今回の「熱帯」、初見だが、正直、
「次の曲をかけるのはいったい誰なのか。BGMをめぐる戦いは、もうすでに始まっている」
とチラシに書かれると、これは「観に行かなきゃならん」と思ってしまったわけである。そのBGMのかかり方が、役者レベルでのものになるのか、観 客を巻き込んで劇場の雰囲気を変えて遊びにかかるのか、ハロルド坂田ばりにCDをフリスビーのように投げつけ合ったりするのか、一体全体舞台上の「音」が どんな風に聞こえてくるのか。とても楽しみだった。この際、劇風がどうであろうが構わない。BGMに着目したそのアイディア1点に賭けて観に行った。

全て過去形である。雑なつくりの芝居で残念だ。
せめて、ラジカセの電源をつける・消す、ボリュームを調整する、音源を切り替える(CD⇔ラジオ)、その時に曲が途中からかかるのか頭からかかる のか、ラジカセをいじる人がきちんと操作に集中しているか、等々、それくらいはきちんと演技・演出してほしかった。オレ、正直言って「そこに」集中して芝 居みてたのに。少なくとも舞台の上は、「ラジカセ」に視線が集まるように組んであったよね?

不夜城のデザイン事務所で窓が無くて一体何時だか分からなくて、出はけの間に実は2時間経ってましたとか、ここは10分経過とか、時間の流し方をうにょうにょっとさせるやり方は、それはそれでよいんだが、これも、役者の出はけの雑なのが気になって、楽しめなかった。
ほんと、残念だ。

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