17/05/2008 ソワレ
青年団の役者たち、80年代の「叫ぶ、飛ぶ、跳ねる、面をきる」芝居を観たことも演じたことも無い連中を使った川村毅戯曲上演。演出も第三エロチカ出身のクセに80年代演劇を知らないなんて、「何をヌかすか、ホントかよ」、っていう感じである。
一度稽古場にお邪魔したときは、「おおっ、青年団の役者をしてもできないことって、あるんだー!」と、青年団の役者達の余りにも居心地悪げな動きにちょっと小躍りした小生ではあるが、本番の出来映えについては確信もてず、ドキドキ感を抱えて春風舎へ向かった。
で、出来上がったものはなんともみょうちくりんで、不ぞろいで、ゴツゴツした、良いも悪いもごった煮の、80年代の戯曲なのにノスタルジーのかけらも感じさせない芝居だった。言いたいことは沢山ある。「こんなことするなよ」とか、「こうしたほうがいいんじゃない?」とか、「これは意図してなかったかもしれないが、面白かった」とか。が、トータルで、出来の悪いところも良いところも含めて、楽しんだ。
海津マーロウの「川村毅に喧嘩売ってんのか?」みたいな、現代口語演劇の申し子のような台詞が抜群の破壊力で、もう、目が離せない。というか、海津、芝居が半分以上経過するまで、顔見えねー。
対極にある文学座組の「器用さ」も、芝居を上手く説明する方向へのベクトルを要求されていないようで、むしろ、現代口語演劇の文脈での「分からなさ」が浮き彫りになる。
元の戯曲が「紋切り型の生成と消費」を主題のひとつとして取り扱っているだけに、なんとも妙なはまり具合である。
「その場走り」にも、80年代演劇へのエクスポージャーの差が巧拙(その場走りにだって巧拙はあるのだ!)にそのまま現れて、80年代を引きずるおじさんな観客としては含み笑いをこらえられない。
その日来場した川村氏、「面白かった。もう一度くる。」と言い残して春風舎を去ったらしいが、それは演出への最大級の賛辞だろう。そうか。川村さん、面白かったですか。そういえば、付け鼻シャロンの登場のときから、声を上げて笑ってましたね。こんな風に自分の戯曲がみょーちくりんなごった煮になっちまったことを面白いと思える川村毅氏、大物ですね。
が、である。西村和宏、勝負は次だ。80年代には立ち返ってみた。それなりの成果がでた。でもそれは「習作」である。今回の公演も「試演会」からボコッとはみ出てはいない気もする。八犬伝から始めて、「テクストの扱い方」にいくのか、「役者の身体」にいくのか、現代口語の可能性の売り方にいくのか。そこらへんも含めて、次回が楽しみになった。
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