2008年5月4日日曜日

A.C.O.A. 霧笛 -共生の彼方へ-

03/05/2008 ソワレ

A.C.O.A.の主宰にしてアトリエの小屋主、要は、今回の「なぱふぇす」の主、鈴木氏によるレイ・ブラッドベリ作品の一人語り。

幕前、鈴木氏がご挨拶されて、「中央のカネと風評を逃れてきて、こういう場所で、一人ひとりの顔の見えるところで、芝居ができるのは幸せだ。」とのこと。
非常に真っ直ぐな、良い意味で愚直な生真面目さを感じる。

作品も、ブラッドベリの原作に対して非常に愚直に作ってある。真っ直ぐに伝えること。SCOTにいらしたそうで、身体の動きにも変な無駄がないし、奇をてらう気配は一切なし。好感度高い。エディンバラフェスで良くやっているような一人芝居を思い起こさせたりもする。

が、その生真面目さが、時として息苦しくも感じられた。ブラッドベリの物語を「伝える」ことに対して、無駄と思われるものをとことんそぎ落として観客に提示すること。でも、それは、「敢えて観客に回り道をしてもらったりする機会を排除すること」とは少し違うんじゃないかと思ったりもした。

こういう風に比べるのは失礼かもしれないけれど、当日の昼に観た三条会の「がはは感」、あるいはかっこよく言うと「哄笑の渦」、あるいは、誤解を呼ぶと嫌だが「ユーモア」みたいなものが、この「霧笛」には割って入りづらい気がしたのである。
(鈴木氏にユーモアが欠けている、という意味ではない。生硬なユーモアの発露、というのも勿論ありです)

それは例えば、鈴木氏の発する「恐竜の声」に対して「ほんとかよ」と突っ込みを入れる余地がない、とか、背中のうろこを観ても「突っ込んでよいのだろうか?」と自問してしまったり、最後お尻をペロンと出してしまっても何だか(僕は)笑えなかったり、ということなのだ。

僕は今それに対して「回答」を出すことは出来ないのだけれど、やっぱり、僕は、どっかで「破れ」が生じる、あるいは、皮膜が破れてしまいそうな、そういう瞬間を目の当たりにしたい、そこにたどり着けませんでした、というのが率直なところ。

鈴木氏は7月の三条会「夏の夜の夢」に出演される由。三条会の「がはは感」の中で鈴木氏の生真面目な身体がどう活かされるのか、大変興味深い。

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