2008年5月18日日曜日

快快 ジンジャーに乗って

17/05/2008 マチネ

前回アゴラで観た時の通り、おしゃれでセンスのある、身体の良く動く劇団の軽々としたパフォーマンスを期待して王子に出かけた。で、まさに期待通り。

劇場に入ると、何だか「こどもアドベンチャーランド」みたいに鉄パイとタイヤとロープが組んであって、下手ギャラリーとつながっている。セグウェイが2台、舞台奥に無造作に置かれている。なんだか、たくさんのセグウェイが舞台の上を走り回って、ローラーディスコ(古い!)みたいになるのだろうか、と思わせる。

果たして、オープニングの「焼酎ナイト」は踊りも格好よくて、みんな身体が良く動いて、おおっという感じ。が、この芝居の本題は、そのまま体力に任せてセグウェイで走り回るのではなくて、セグウェイを巡って(あるいは巡らなくても)7人の若者達がうだうだしてる、という、そういう話で終始する。

うじうじ、うだうだと、でも、瞬間風速なら負けないよ、という刹那的な動きが、チェルフィッチュのようでチェルフィッチュでない快快の見所。記憶を繰り返し手繰り寄せたり、台詞と身体の動きの連結・切り離しを意識したりするところは「ぽい」かもしれないけれど、目指してるところは、もっと、理屈っぽくない、身体の欲望に近いところにあるように見えた。今の快快について僕が気に入っているところは、おそらく、その、理屈では決して追い越せない瞬間風速と、「半年後にはもうこの集団の"花"は枯れてしまっているのかもしれない」という切なさである。

デモ行進が通過するシーンはそういう意味で、僕が快快の風速と切なさを最も感じたシーンである。ぐっと来た。ぐっと来るといえば、いちいちリセッシュのスプレー(小生の自宅にも備えてあるのと同じもの)をしゅしゅっとするのも、別の意味でぐっと来た。笑った。
まぁ、じゃあ、この若者たちが何年か歳をとったらいろんなものが変わってしまうのかといえば、案外そんなもんでもないのかもしれない。遊眠社だって「身体が動かなくなったら」というところは乗り越えて芝居を続けられたのだから。一おじさんとしても、風速を感じられる限りにおいて、しばらく拝見させていただくつもりです。

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