2008年11月15日土曜日

多和田葉子+高瀬アキ 飛魂II

14/11/2008

木曜日の日経夕刊生活欄の舞台ガイドに控えめに3行、「多和田葉子+高瀬アキ」とあって、偶々そのページを開かなかったら後で地団駄踏んでいただろう、その場でシアターXに電話で予約。よかった、チケットまだあった。

ともにベルリン在住の小説家とピアニスト。高瀬アキさんは、僕がまだジャズライフとかスイングジャーナルとかをジャズ喫茶で読んでたころから日本 で活躍されていたが、ベルリンに移り住んでいたとは知らなんだ。多和田さんは、いわずと知れた現代日本で最もすぐれた小説家・ライターの1人で、中でも 「飛魂」は、小生最初の2ページを読んでぶっ飛んだ、生涯に読んだ小説の中で五本の指に入る傑作。多和田氏が幅広く朗読パフォーマンスをしていることは 知っていたが、(そして去年の『飛魂』)は聞きにいけず地団駄踏んだのだが)、「飛魂II」と来ては、何もかも振り捨てて聞きに行かずばなるまい。

予想に反して、会場、一杯ではない。おかしい。
最前列中央に何の臆面もなく陣取る。隣の女性二人組み(1人はアメリカ人、もう1人はドイツ人のようなアクセントでしたが)が話をしていて、どうやら、飛魂は絶版、ヤフオクで1万円で手に入れた、とのこと。おかしい。あんなに素晴しい小説が、絶版ですと。

高瀬・多和田両氏登場。多和田氏第一声。予想していたのと声が違う。思っていたよりも低いところの倍音が豊かで、芯がある。The Go! Teamで強調されるような「日本人っぽい」発声からは離れた感じ。

朗読なんだけれど、ピアノと言葉が絡んで、どうも多和田氏、「テクスト」でなくて、「楽譜に記譜された言葉」をうたっているようだ。そういう目の 動き。だから、テクストは読まれていると感じる時もあるし、まるで組みあがったレゴをちっちゃな固まりごとに外して放り投げていると感じる時もあるし、 もっとちっちゃいパーツで遊んでいると感じることもある。ピアノに「乗せて」コトバをうたうのではなく、ピアノはあくまでも一連の繋がった文章をばらばら に砕いてしまう溶媒のように作用して、それを多和田氏が新しいカタチに組みなおしてくれるのだ。

まるで、「ヘビ遣い」ならぬ「コトバ遣い」が、つぼの中からコトバを呼び寄せて、ステージの上で踊り、くねらせている印象である。これは、楽し い。飛魂のパートでは、本のページの上でもぞもぞと動き出した文字どもが、コトバ遣いの手によってページから(封筒から剥がされる使用済み切手のように) ふわっと剥がされて、音となって、観客席の聴衆の耳の穴めがけて飛んだいく気がする。それも楽しい。

1時間20分、本当にあっという間に終わった。こんなに素晴しいコトバとの接し方が出来るとは。

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