2008年11月16日日曜日

青年団 冒険王

15/11/2008 ソワレ

初日。
当日パンフには「過去2回の公演に比べて、明るい、積極的な冒険王」とあったが、観た印象も、カラッと、クリスピーな仕上がりと感じた。
僕は、冒険王については1996年のアゴラ初演を観たきりなのだが、そのときに比べると、やはり、イスタンブールに「一時」停滞している人たちが、考え込むよりも、アクションが先に出る人たちとして描かれている印象である。

それは、良し悪しではなくて、やはり、時代の空気とか、役者の持っているものとかによるのだろうけれど、個人的には、永井秀樹の「場の御し方」に かかっているところが大きいような気がした。永井氏がこういう使われ方しているの、あんまり観た記憶がないけれど、こういう演技を観ると、やはり、力量の ある役者だと感じる。

小生は下手の「火宅夫」「追いかけ妻」ポジションで拝見したが、中盤、能島・二反田の会話のシーンでは、不覚にも涙が出た。初対面の2人の、なん ともいえない状況での視線の絡み方と、2人がそれぞれに抱えているバックグラウンドへの想像力が、舞台を対角線に走る視線から、パァーッと広がる一瞬が見 えた、気がした。そういう、ちょっとした瞬間の演出が、平田オリザ、上手いのだ。もちろん、それをいともた易く演じてみせる役者陣も素晴しいし。

アフタートークで山村崇子さん出演、あんなに沢山、しかも楽しそうに、芝居の話をする山村さんもひさーしぶりに観た気がする。それもよかった。

平田芝居には、「行き止まりになりかねない場所」が数多く出てきて、それは例えば、「S高原から」だったり「ソウル市民 - 昭和望郷編」だったり「眠れない夜なんかない」だったり「南へ」だったりするのだが、この「冒険王」は、半分はそういうテイストを持ちながら、そこから、 半歩or一歩前に出ようという意識を感じさせる芝居である。最初期の「欲望という名の林檎」は、大内主税が船のへさきにいる場面で終わっていて、そういう 意味では、一歩踏み出すところまでを描いていたけれど、今後、「一歩先に行ってしまった人」を戯曲に書いたりはしないのだろうか?そういう芝居を、説教臭 くならず、野田秀樹臭くならずに書くのは難しいのかもしれないけれど、いつか、見てみたい気もする。一歩踏み出すことすら、それが本当に前向きなのかどう なのかも分からないはずで、そういう場がどこかにあってもいいんじゃないかな、と思ったりもするのである。

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