2008年11月4日火曜日

多摩川劇場 山下号(ゲネ)+中野号+再び柴号

03/11/2008 昼

9時開演の岡崎藝術座、朝公演が終わるや否や、東横線に乗り込んで一路多摩川駅へ。多摩川劇場、中野成樹組「欲望という名の電車をラップにしようとする男の害について」の整理券を取りに並ぶ。さらに、1時のゲネプロ回も観れることがわかったので、山下残組の「会話レス、電車音」も観ることにする。

「多摩川劇場、全3本制覇。」

誰に誇れるものでもないだろう。ま、その日、本当に自分はヒマだったのだ、ということは証明されるが。

山下号、台詞無しの振り付けのみ。うーん、個々の動きは面白いんだけど、それらを繋ぐ糸が見えないと、更に、電車の両方向を首を回してみていると、フラストレーションが先に来たかも。自分はどうしても「コンテクスト」を求めがちな観客である、という、いつもながらの限界に突き当たる。

中野号、車内のおばさんとラッパーおにいちゃんの口論が、いつしかスチャダラパーに乗ったラップになっちゃうというお話。日常会話のリズムとラップとの臨界点を探るという意味で柴幸男の傑作パフォーマンス「御前会議」に似るが、いかんせん柴が1時間20分掛けてやったことを10分でせにゃならんハンデは大きくて、「御前会議」のサトルさは無い。が、インパクトは充分にあった。多摩川の駅で、4-5歳児が、両手突き出して、リズムに乗った言葉を吐き出しとったよ。

で、その足で多摩川駅の改札を出て、柴号のおまけ編に乱入。プラレールが繋がっていく様を、再度、今度は見物人としてみる。それも面白い。本当に面白い。
人と人との「絆」なんて、所詮コンテクストの中でしか成り立たないんだけれど、柴号のパフォーマンスは、そのコンテクストの接点を、プラレールの継ぎ目に凝縮させて、その場その刹那の知らない人同士、偶然多摩川線に乗っちゃったというちっちゃな「絆」を、景色の変化というもう少し大きなカタルシスに繋げて、一生忘れ得ない風景を刻み付けてくれた。

今日、通勤していたら、今度はその風景の変化に、「お店さん」「天気さん」「白猫さん」「過去さん」の台詞がふと重なって、涙出そうになった。プラレールの発想だけではなくて、もう一発仕掛けがあったのだ。それにも驚いた。

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