2008年11月24日月曜日

三条会 熊野・弱法師

22/11/2008 ソワレ

三条会の魅力を人に伝えるのには、どのように言えばよいのか?
近代能楽集連続上演を全て拝見した後での感想は、「三島戯曲って、本当は面白かったんですね」。それが分かっただけで、僕にとっては素晴しい体験なのだけれど、それをもって三条会の魅力です、といっても通じないだろう。

・ 役者が、変なんです。
・ 演出が、突拍子もなくて変わってるんです。
・ 役者の立ち、特に、女優の立ちが、美しいんです。
・ 山口百恵や井上陽水やレッド・ツェッペリンがかかるんです。

これでは、エリマキトカゲやウーパールーパーを他人に紹介するのと大して変わりがない...orz(生まれて初めて使ってみた。用例として適切ですか?)。

が、今回の三島シリーズで何となく僕なりにぼんやりとはいえ浮かんできたのは、
「演出家の解釈=この戯曲の意味は、実は、こういう意味だったんですよー。だから、それが分かり易いように演出してみましたよー。いかがですかー。僕ってすごくセンス良いでしょー、という説明」
と、
「演出家が戯曲を面白いと思いながら読んだ時のダイナミズムを、どうやったら観客と共有できるだろうか、という、仕掛け (仕掛けなので、説明なし)」
は、おそらく違うんだろうなー、という感覚である。もちろん、後者の場合でも観客は(特に三条会では)戯曲を読むプロセスを擬似追体験するのだけ れど、そこから出てくる解釈・妄想の結果については演出家は興味を持っていない。ただその「体験の瞬間のダイナミズム」だけに興味がある。

だから、観た後の感想も、「あれが変だった」「これが面白かった」であって、「あぁー、三島戯曲のテーマはこういうことだったんですかー、よくわかったなー」じゃないのである。
でも、そういう風に観れないと、芝居って面白くないんだよね。

以上、演出家の方々には既に自明のことかもしれないが(自明でない演出家も実際には7割くらいいるように僕には思われるが)、余計なことを言いました。

熊野、客演の桜内結うの動きが変で、思わず見入る。あの微妙な揺らぎ方は、三条会の役者と混じるとなんともいえぬ味わい。弱法師、(ネタバレなの で言わないが)盲目を逆手にとってフレームを変換。それに乗っかった俊徳の怪演が楽しい。桜間女史のブラウスは、あれは、手作りなのか、市販ならどこで手 に入れたのか。気になる。

繰り返しになるけれども、こういう三島作品なら喜んで何度も観たい、と思わせてくれたことに感謝、感謝。

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