09/09/2007 マチネ
うーん、もったいない。
去年、王子小劇場で前作を観たときに、最近の若い役者達があまりにも当たり前のように「クサい台詞を排除した」「現代口語演劇」を何の苦も無くこなして、プラスアルファで何をしようかと考えているのを目の当たりにして、とっても驚いたことを覚えている。
もったいない、と言う理由は、そのプラスアルファが、「ストーリー」だった、ということだ。
いくらクサくなくしても、説明台詞は説明台詞でしかないし、ストーリーの展開に縛られた演技はそれ以上のものにしかならない、と僕は考える。役者から発せられているはずのノイズが、ストーリーにかき消されていた。
僕らが生きている世界のノイズを拾ってきて、それをどう提示するかという問題意識には異議なし。でも、ドロドロの、おそらく現実の世界に近いのだ ろうものを持ってきて、はい、これがリアルなノイズだよ、って言われてもなぁ。ノイズは前景に阻まれてこそノイズである。前景にバーンと出しても、それ、 「ノイズを有難う」の世界ではないのか?
それは、「感動を有難う」と同じ打ち出し方なのではないか?
だから、青年団の「smartballと比べればはるかにお上品な」芝居の中に、ふと立ち顕れる裂け目が、実はsmartballの暴力シーンよりもはるかにゾゾゾゾっとなる気持ち悪さだったりするのだ。
逆に、The Perfect Drug のラストシーンは、ドリフの前半の舞台の終わりの「ちゃちゃちゃ ちゃんちゃかちゃっちゃ ちゃんちゃかちゃっちゃ ちゃちゃーん、ぱ、ぱらっぱ、ぱっぱー」という、あのエンディングに近くて、実は、極めて陽気な終わり 方だったと思う。
そのエンディングが、「セックスと暴力のえげつない世界を有難う」な観客への皮肉なメッセージであったのなら、次は、「素敵な行き場の無いストー リーを有難う」といって期待してくる観客をぎゃふんといわせて欲しいのだ。その力はある劇団だと思う。だから、今回はもったいなかった。そういう意味で す。
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