22/09/2007 ソワレ
アインシュタイン来日時の中で関係者誰もが首をひねる空白の1時間。高名な博士は一体どこで何をしていたのか...という切り口自体をどうこうは 言うまい。要はその空白の時間をどう料理するかが勝負であって、例えば野田秀樹は、アポロとヒューストンの交信が一旦途絶えるところに史上最弱のボクサー を放り込んで傑作をものしたわけである。
問題は、僕が観たいのはそこで生じる狭間で「何が起こるか」であって、「その時代背景がなんだったか」の説明ではない、ということだ。野獣降臨で 東西冷戦とかケネディの演説とかフルシチョフとか出してきて1時間半解説されても全く無価値だったろう。このアインシュタイン・ショックで、アインシュタ イン博士来日の際の巷の様子、科学者達の行状を事細かに解説されても、無価値だ。
ネタ本をそのまま台詞に乗っけることが100%ダメだと言っている訳でもない。燐光群の「放埓の人」は、沢野氏の著作の切り貼りを台詞にしているにも拘らず、役者の身体をフルに稼動させて力ずくで成立させてしまう素晴らしい舞台に仕上がっていた。
メッセージというか、動機というか、そういうものも否定しはしないし、それらが伝わるために、時代背景の説明やら本の台詞やらが必要なのならそれ はそれでよい。ただ、料理の仕方、舞台での見せ方にはもっと気を遣うべきで、そうでないと、2時間無駄だったとは言わないけれど、1時間半無駄だった、と 思わざるを得なくなってしまうのである。
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