2007年9月16日日曜日

イキウメ 散歩する侵略者

15/09/2007 マチネ

宇宙人が侵略してくる話である。1つだけ抽象的な概念を抜かれちまうんである。怖いんである。
ただし、邂逅→謎解き→アクション→大団円
という筋道を辿るのが作・演出の意図ではないんだろう、ということは当パンからも何となく読み取れるし、観た後の感想もそうだ。

瀧川・浜田のテンションのコントラストが妙にしっくり来るのか来ないのか、何だか面白い関係を保ったまま、ラスト近くで
「君の足りないところを僕が埋めるからさ」
には怒涛の愛を感じた。良し。

だが、実はもっと気に入ったのは、「自と他の境」を抜かれた後の医師の演技。あんなに何だか分かんないところで苦労する演技を、何だか分からない ままに舞台に載せるセンスが良い。実際、自分から抽象概念が一つ抜けたら、あんなふうに対処するんじゃないだろうか(瀧川・浜田コンビのように怒涛の愛で 乗り切るなら別だが)、と思わせる。そこで引き立つのが、「自と他の境」を抜き取られて、感情移入が激しくなっちまう、というプロットを考え付いた作・演 出のセンスだろう。

が、そのセンスは実はその後の「物語」に対して妙な伏線を張ることになる。瀧川・浜田の愛のシーンにしてやられた後、ふっと考えてみると、自分が 「自と他の境」を抜かれて感情移入してたんじゃないか、と思い立つ。そうなると、オーラス、主人公たる夫婦の愛のシーンを見ていても、「自と他の境」に自 覚的な観客の眼からは「なんだかなぁ」となってしまうのである。まさに両刃の剣だ。両刃のヤイバではない。念のため。

そもそも抽象的な概念を30人くらいから一人一個ずつ抜き取ってもせいぜい30の概念だから、なかなか愛まで行き着くのには無理がある、というアラ探しは別にしても、ラストはちいと苦しかったな。

以下、結論を箇条書きで:
① このプロットを舞台に載せた作・演出のセンスと役者の技量、良し。
② 抽象概念を1つだけ抜かれた人を舞台に載せることはできるし、面白くなる。抽象概念を積み上げる人は、難易度が余りに高い。
③ 導入とエンディングをいじれば、もっと大人で面白くなる可能性あり。また、抜かれた時に目がクラッとくるのは、反則。もっと訳が分からない、普通の感じのほうが良い。宇宙人も、魂の無い感じを殊更に出すのは変。
④ メインの物語よりも、サブの瀧川・浜田に見入ってしまったのは作・演出に申し訳ないが、ま、しょうがない。役者のせいでは必ずしも無い。

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