2016年9月27日火曜日

かもめ (Young Checkov三本立)

03/09/2016 20:00 @National Theatre, Olivier

チェーホフ初期作品三本立て一日一挙上演のラストを飾ったのは「かもめ」。やはり四大戯曲と呼ばれるだけあって、芝居の作りがとても面白い。
チェーホフの意地悪な視線の確かさとか、それぞれの登場人物のキャラ(一人の主人公に詰め込むんじゃなくて)が人間関係のねじれ、物語のうねりを産み出す様とか、そこから立ち上る、絶望とも希望ともとれる空気とか、そういうものの舞台からの立ちのぼりかたが、明らかにPlatonovやIvanovとは異なっていて、観応えたっぷり。
この三本立て、ラストは必ず鉄砲が出てくるのだけれど、鉄砲の使い方、とりわけ発砲の後処理も、かもめに一日の長あり。また、舞台上に水を張った美術も、この作品で最も生きていた印象。

このプロダクションは、もちろんDavid Hareの解釈に沿って輪郭が取り直してあるのだけれど、
トリゴーリンの「自らの空虚の自覚」「全てを自分が書く小説に取り込んでしまう視線の在り方」(= Death or Glory, Becomes Just Another Storyなんだよなぁ)や、
あるいは、マーシャがトリゴーリンのメモの世界に取り込まれない「我」を終始保ち続ける様、
あるいは、ニーナが最後のシーン、舞台脇のぬかるみを力強くジャブジャブ踏んで退場していく様、
その辺りが、特にこのプロダクションではよく見えた。

特に、ニーナがラストに見せる力強さ。至高の芸術にはとても辿り着きそうにないが、力強く、泥臭く女優を続けていくためにジャブジャブ水を踏みしめて退場するその一歩一歩が、少なくとも旅の終わりにどこかに辿り着くための一歩のように見える。一方的に「かわいそうな哀れなニーナ」で終わっていない。
表面上成功しているように見えていても、神経質に並べられた原稿のように吹けば飛ぶような自我が壊れるのを待っているトレープレフとは対照的で。

イリーナ・トリゴーリンの「行かないで」のシーンは、「そこで脚つかんで引き倒しますか!」っていうダイナミックな動きで吉ではあったが、角替和枝さんのあのダイナミックかつねっとりしたイリーナにはちょっと及ばず。でも、端正に、かつ輪郭にメリハリも効いて、上質のプロダクション。8時間弱の一挙上演を飾るに相応しい芝居だった。

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