2016年9月24日土曜日

Platonov (Young Chekhov三本立)

03/09/2016 11:45 @National Theatre, Olivier

昨年夏、Chichesterのフェスティバルで上演されなかなかに好評だったチェーホフ初期作品群三本立て上演。 David Hareの脚色が入って、Platonov、Ivanov、かもめ、の三作品。この土曜日は一日のうちに三本立て一気上演、ということで、それぞれ2時間45分、2時間30分、2時間30分、合計8時間弱を同じ劇場で過ごす(おそらく平均年齢60歳超の)勇者達が朝のうちからNational Theatreに集結。

筆者はPlatonovとIvanov未見。かもめは色々なプロダクションで観てきたけれど、好きなのは、中野成樹+フランケンズの「ながめみじかめ」と、角替和枝さんがイリーナ、柄本明さんがトリゴーリンを演じた東京乾電池バージョン。さて、どうなる?

で、Platonovである。まず思うのは「上演されないのにはそれなりの理由がある」ということか。四大戯曲に比べると、物語の重層感に欠ける印象。
チェーホフ芝居のモチーフとして出てくる
「若い世代の、無根拠に理想に走ろうとする理屈っぽい情熱」 と
「理想や理屈とは関係のないその場限りの前さばきでふわふわと人間関係を乗り切っていく如才なさ」
の2つを、この戯曲では、プラトーノフ一人(大学生の頃の情熱と、情熱は枯れたが性欲と機知は枯れない今日この頃)に負わせて、その2つの資質の対立関係を使って物語を駆動していく。
最後はもちろん破綻して終わるわけだけれども。

今回のプロダクションではJames McArdleが調子の良い伊達男を好演。冒頭、川の中をジャブジャブ歩いて登場してきた姿は確かに格好良い。前半の伊達男ぶり、口八丁手八丁から始まって、中盤の気持ちのぶれ、後半の「何でオレはこんな目に遭わにゃならんのだ?」に至るまで、安心して観ていられた。

観ていられたのだけれども、実はその「何でオレ?」っていうところが、観ていて苦しいところでもある。
この戯曲では、プラトーノフ本人が「何かに苦しんでいる」のにも拘わらず、そこに本人が自らメスを入れて切り込んでいく契機が与えられていない。いや、本人には見えてなくて一切構わないのだけれど、なすすべもなくプラトーノフが窮地に陥る様が、一種「自業自得だこのやろう」的な部分もあって、放っておくと、ただのドンファンものになっちまわないかい?という懸念がある。
最後は「ざまあみろ」ではなくて、「分かっているけど止められない」「前を向く契機はあった、少なくとも気づきのようなものはあったのにも拘わらず、そのように終われなかった」
ぐらいなことはあっても良いんじゃないかなぁ、と思ってしまう。少なくとも、モチーフの間の軋りをプラトーノフ一人に負わせるのであれば。

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