2016年9月2日金曜日

Team Viking (Edinburgh Festival Fringe 2016)

22/08/2016 14:55 @Just the Tonic at the Community Project

今年のエディンバラ到着一本目は、まだ20代のJames Rowlandによる60分独り語り。いきなり素晴らしいパフォーマンスにノックアウトされた。語る自分と語られる自分(実在する自分と虚構の自分)の間の距離の取り方、虚構と事実の間の膜のはり方、客席との間合い、それらを裏打ちしていく小さなエピソード、小芝居、小道具の巧みさ、おもちゃキーボードとデジタル・ディレイ(多分)を組み合わせて、その場多重録音で積み上げる歌を挟んだ構成の妙、等々、大したものだと呻らされた。

1958年のハリウッド映画"The Vikings"に倣って、死んだ幼なじみをバイキング式の葬儀で送り出そうという話。ブロンドの頭髪にあごひげ、ぽっちゃりめの身体に白いシャツ、サイズが微妙に窮屈な黒いスーツ。その物語は、若くして亡くなった友人へのトリビュートのようでもあるし、一方で、小さなエピソードの積み重ねの中にちりばめられた伏線の回収があまりにも見事なために、まさかこりゃ全部実話じゃないな、と、「ウェルメイド感」でもって自分を納得させることも出来る。咳払いをしたり、洟をかんだりして、間合いを取る仕草、公園の描写、クリスマスプディングのブランデーのエピソード、病床での会話、舟を送った直後の大どんでん返し。こうしたものが、過不足なく構成されて、美味なことこの上ない。

虚実の間を巧みに縫って語りながら、その更に外側に、観客が記憶をたぐり、想像力を巡らせる余地を作り出していた。そして、終わってから振り返ってみると、「幼なじみの死」というテーマで、ここまで笑いを交えて語りきることの出来る度量に改めて呻らされる。自らを、あるいは語るテーマを、一段離れたところから突き放して見るところにユーモアが生まれ、笑いを誘い、余白が生じ、物語がそれ自体を超えて豊かに育つ。そしてその過程を支えるのは、飽くまでも一つ一つの仕草・エピソードのディテールにある。そこが揺るがない。そこにも力を感じた。

エディンバラのフリンジで観るプロダクションは、小屋の制約からか、プロダクション運営上の制約からか、役者一人によるパフォーマンスが多いのだけれども、こういう作品が観られるのならば大歓迎だ。

2 件のコメント:

東川歩未 さんのコメント...

こんにちは!
ロンドンの劇場について調べていたら辿り着きました。
芝居いろいろ観ていらっしゃるんですね(^^
お話ししてみたいと思い、コメントさせて頂きました( ^ω^ )

Homer Price さんのコメント...

お読みいただいてありがとうございます。
ロンドン観劇事情については、「観客発進メディアWL」に掲載された拙稿
「小劇場ファンのための英国観劇マニュアル」
「小劇場ファンのための夏休み英国観劇ガイド2016」
ご覧ください。
http://theatrum-wl.tumblr.com/
から入れますよ。