2016年9月11日日曜日

Infinity Pool: A Modern Retelling of Madame Bovary (Edinburgh Festival Fringe 2016)

23/08/2016 16:35 @Bedlam Theatre

フローベールのボヴァリー夫人を現代英国に移し替えて、しかも、台詞無し、役者不在。作者兼オペレーターのBea Robertsが、プロジェクションとPCディスプレイとOHP(懐かしい!)だけで90分見せてしまう力業。ところがそれが「試みの新奇さ」で終わらない。超絶に面白く、切なく、しかも「現代英国で、この形態で、ボヴァリー夫人の翻案を上演すること」には必然性があるのだ!とまで思ってしまう傑作。おそろしい才能である。

現代英国で働く一児の母。一人娘はほぼ手が離れて一緒に遊びに行く歳でもなくなってしまったし、夫は退屈だし、毎日出かける職場の仕事は配管部品オペレーターのクレーム処理。退屈とストレス。会社のPCで買い物サイトを覗いてまわってクレジットカードでお買い物。女性上司との葛藤。容貌へのコンプレックス。
クレームをつけてきた男性とのチャットの始まり。関係の深まり。海辺の町で、二人っきりで会いませんか。
さあどうする?
ボヴァリー夫人は破綻と自殺で終わるが、現代英国のボヴァリー夫人はどうやって決着をつけるのか。

そうした物語が、プロジェクションとPC画面とOHPで綴られる。台詞なしとはいっても、会話のテクストはプロジェクターで表示されるし、勿論、チャットのやり取り、成り行きも、時にはリアルタイムにキーボードに打ち込まれながら、表示されていく。

テクストを観客に追わせるぐらいなのだからわざわざ舞台上で上演する必要は無いじゃないか、「電車男」みたいに本にすればいいじゃないか、というなかれ。テクストが入力される時間、OHPにスライドが置かれる時間等々、物理的な時間の存在が計算ずくで織り込まれて、その進行感・テンポが心地よい。加えて、テクストで表示される「台詞」からは、生身の役者が付け加えるであろう声のトーン、高低、スピード、強弱といったニュアンス・ノイズがそぎ落とされてしまい、その代わりに、普段舞台で観るのとは異なった種類のノイズ、つまり、フォントや文字の色やテクストのぶつ切りの加減等が付け加わる。そこにニュアンスをつける作業は、実はこれまでのところ、まだまだ「観劇の作法」の中で確立されていないから、クリシェに陥りにくいから、観客の想像力が、(少なくとも僕自身にとっては)これまで経験したことの無かったように拡がって、スリリング。素舞台に一見雑然と機器が乗っているだけの、本来であれば殺風景な舞台に、豊かな色彩が展開する。

また、写真やテクストの画像を追っていく過程で、あたかも「物的証拠」を辿りながら物語を追いかけているかのうような錯覚に陥っていくのも楽しかった(ちょっと、昼のワイドショーを無音で見ている感じに近いかも)。その物理的なスピードと、物語の展開のバランスが非常に良くて、物語の展開を5秒遅れ、10m離れた距離で追っていくうちに90分間があっという間に過ぎた。

表題の"Infinity Pool"というのは、海辺のリゾートホテルによくあるプールで、海側に面した縁は最上部まで水が張ってあって、プールの中から見ると、あたかもプールがその向こうの海まで無限に続いているように見えるプールのことなのだが、さて、現代英国のボヴァリー夫人がプールの中から見た向こう側は、本当に海まで繋がっていたのでしょうか。それとも、現実には、縁のすぐ外側には水がどーっと鉛直に落ちて、排水溝に続いているだけだったのでしょうか。
ネタバレは敢えて避けるが、ラストシーンは、(台詞が一切無いのに!)切なくて泣けたのだ。

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