2016年9月21日水曜日

E15 (Edinburgh Festival Fringe 2016)

26/08/2016 18:30 @Summerhall

今年もLUNGはやってくれた。去年のエディンバラで最も心に残った芝居、The 56では、ブラッドフォードのフットボールスタジアム火災を題材にしてノックアウトパンチを放ってくれたのだが、今年は、E15で、自分たちを公営住宅から追い出そうとするカウンシルに立ち向かうロンドンのシングルマザーを描いて、これまた素晴らしい。去年のパフォーマンスがラッキーパンチではなかったことが存分に分かって大満足だった。
(昨年のThe 56について筆者はこんな風に書いている:
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2015/09/the-56-edinburgh-fringe-festival-2015.html)

実際にE15の会場に入るまで、これがLUNGによる公演だと認識していなかった。開演前に、昨年The 56に出ていたBilly Taylor(彼は本当に、一度観たら忘れられない良い役者なんだ)がチラシを配っていて、あれ?と思ったのだが、芝居が始まってから、「去年のThe 56の役者がもう一人出ているじゃないか」っていうので気がついた次第。アンテナの低さを恥じるとともに、自らの幸運を思う(いや、本当はもう一人、合計3人、去年のエディンバラでのキャストが全員出演していたことが、後で分かる)。

Verbatimでは、台詞が実在の人物の発言やインタビューを元に(というか、ほぼ忠実に)書かれているから、そこに作家の勝手な物語が入りにくい仕組みになっているのが魅力のポイント。
ところが一方で、ニュース番組やドキュメンタリーと同様「編集」作業は必ず入るし、むしろ、その出来不出来によっては、学芸会の発表みたいになってしまったり、アジ演説じみてしまったりするリスクも相当高い。

昨年のThe 56はその点、題材を極めてデリケートに扱いながら、かつ誠実に書かれていて、だからこそ体重の乗ったパンチが客席に届いていた。
ところが、今年のE15は、そもそもが、カウンシルのオフィスの前でデモを打ったり、公営住宅を占拠してしまったりする芝居である。アジ演説じみるどころか、「アジ演説」の台詞をそのまま持ってきて舞台に載せるのだから、題材としては相当にリスクが高かったはずだ。舞台上でアジ演説してメッセージを伝えるくらいなら、「むしろ街頭に出ていってやってくれ!」と思われるのがオチだから。

この公演は、この、「公開プロテスト芝居」のコアにあるメッセージを保ちながら、明るく、エンターテイニングに、カラッと、「芝居」として成立させていた。昨年のThe 56が「静」だとすれば、今年のE15は「動」。若い役者達が若い母親達を演じ、アジ演説もうまく取り込んで芝居を壊さず、楽しく観させていただいた。
でも、これ、シングルマザーが子供抱えて住む場所を奪われる、っていう、実はすっごくキツい話だし、楽しいだけじゃなくて、すごくキツい政策の貧困を激しく糾弾している。
いや、だからこそ、カラッと仕上げることで、最後に、自治体の糾弾よりもむしろ
「何かしら一つ、力を合わせて行動を起こしたことで、良くなったことがある」
という、希望に繋がりうる事実を語り伝えることに成功していた。
この、LUNGの人たちは、怒りで目が曇らせず、素晴らしい上演に仕立てることが出来る、すっごい人たちなんだなぁ、と改めて思った次第。

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