2016年9月2日金曜日

The Plough and the Stars

06/08/2016 14:15 @National Theatre, Lyttleton

20世紀アイルランドの劇作家、Peter O'Caseyによる1926年初演のこの芝居は、1916年アイルランドで起きたイースター蜂起の前後のダブリンを描く。題名の"The Plough and the Stars" 「鋤と星」というのは、蜂起の時に市民が掲げた「北斗七星」をあしらった旗のデザイン。「20世紀アイルランドの芝居」ということ以外に事前知識が殆ど無いままで観たのだが、率直な観劇中の印象は「ずいぶん古臭い芝居だな」というもの。構成、役者の使い方、シーンの展開、そして、現代日本のテレビドラマでもありがちな「こんな感情剥き出しのヒロインにはイライラするなあ、早く退場して欲しいなあ、と思っていると最後までサバイブしてしまう症候群」等々、まあ、1926年初演の芝居だと聞かされると、なるほど、と思わず思ってしまう。

ただし、戦闘や衝突そのものではなく、イースター蜂起においてどちらかというと後景に配される人々、すなわち、市民兵の妻、酔っ払い、ヘタレ共産主義者、やもめ女、娼婦、新教徒の女、といった人々に焦点を当てる手口はさすがで、書かれてから100年経った今でも、(若干なりともステレオタイプ的な描き方、もって行き方は古臭いとしても)そこに光を当てたことで浮き上がるものは失われていないし、そうした登場人物の行動を追いかけても、役者が丁寧にきちんと追いかけているから飽きることがない。

四幕ものの大仰な芝居に出来上がっているのだけれども、大味な物語の展開をちょっと脇に置いておいて、一つ一つの小さなシーンに着目すれば、そこには岸田國士の芝居を観るのに似た楽しみがある。ブリテンからやって来た女の「何て酷い有様!」の小芝居、パブでの女同士のケンカとバーテンの困った顔、英兵2人の紅茶を挟んだちょっとした会話、新教・旧教二人の女の市街戦の中のちょっとした冒険、そうした「ちょっとしたもの」の魅力が、骨太で(同時に大味で大時代な)物語の中に埋もれていて、それはあたかも「現代史の大きな物語とそのうねり」の中で失われていく個人の、一人一人の小さな物語を、入念に拾い上げていく作業にも似る。古臭いからと言って、全部丸ごと捨てちまっちゃあいかん、ということか。

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