2016年9月27日火曜日

Ivanov (Young Checkov三本立)

03/09/2016 16:00 @National Theatre, Olivier

チェーホフ初期作品一気上演、2本目はIvanov。これも初見。

「若い世代の、無根拠に理想に走ろうとする理屈っぽい情熱」 がイワーノフの過去として示され、
「理想や理屈とは関係のないその場限りの前さばきでふわふわと人間関係を乗り切っていく如才なさ」へのチャンスもそこに示され、
で、そこで起きる現実の反応は、

「理想に燃えて始めた田舎での事業が破綻してしかも妻が病気になって困窮する中で、
金持ちの娘から求愛されて、あぁ、これで病気の妻が死んでしまえば再婚できておカネも楽になる、そうなったらなぁ、と思いながら、
そんなことを考えてしまう自分が嫌で嫌でしょうがない、
でもそんな自分を憎む上から目線の自分すら嫌で嫌で、
しかもそれじゃあ他にしようがあるのかといえば、どんな打開策も開き直りも見せずに、出口を自ら切り開く努力を放棄して、
あぁ嫌だ嫌だと自己嫌悪の中でただただ自閉していく、目に見えて困ったちゃんな態度」

である。
プラトーノフと同様、理想と上っ面の現実の相克を主人公一人に負わせて、周囲の人物については、吝嗇な金貸し女も、その夫で物わかりの良いインテリ都会人も、インテリに憧れる娘も、その周囲のあんまり深く物事を考えていない風の人たちも、それなりにキャラ付けしているもののおしなべてイワーノフの内部に切り込むこともなく、その鏡となることもなく、
結局はこの芝居、最初から最後までイワーノフの内部の悩みがイワーノフの中で自己完結して、
まぁ、どこにも行かないんだろうなぁと言う物語の行き先が当初の設定から運命づけられていた。主人公オーバーストレッチ。周囲は添え物。

いや、イワーノフには世界がそのようにしか見えていなかったのだし、そのようにチェーホフは描きたかったんでしょう、という向きもあるだろうけれど、
筆者はそうは思わない。
だって、後年、そうした相反するモチーフを複数の登場人物に負わせて、芝居のうねりを生み出す芝居を、チェーホフ自体が書いて、四大戯曲として後世に残したじゃないですか。

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