2016年9月8日木曜日

Last Dream (On Earth) (Edinburgh Festival Fringe 2016)

23/08/2016 13:25 @Assembly Hall

生真面目に創ったんだろうなぁ、ということは窺えるけれども、その生真面目さが徒となって、拡がりに欠ける芝居に仕上がってしまっていた。
新しいものを目指すための試みが、却って芝居全体を縛ってしまっているようにも思われた。

観客は、開場して場内に入るときにヘッドフォンを渡され、上演中はずっとそのヘッドフォンのみを通して音を聞く仕組みになっている。
素舞台の方へと目を向けると、上手からパーカッショニスト、ギタリスト、女優二人、下手には一段高いところに男優が居て、総勢5人。
すでにパーカッショニストとギタリストが演奏(開演前はインプロヴィゼーション)を始めている。

開演すると、物語は2つの軸で展開する。一つは1961年、人類史上初の有人宇宙飛行に成功したガガーリンの物語。
もう一つは2016年、マリからサハラを越えてモロッコへ、そこから手こぎボートでスペインへと渡ろうとする人々の物語。
その2つの物語が平行して、音としてはヘッドホンを通じて交錯しつつ、進んでいく。

かたやガガーリンは広ーい宇宙の星の海から生還。かたや、モロッコからこぎ出した小舟は、大型貨物船の航路とぶつかったあおりをくって転覆する。


で?

ガガーリンとアフリカからこぎ出した人々がどこでどうやって交錯してこの作品が生まれたのかが、さっぱり分からなかった。
おそらく、稽古場で話し合って交錯したのだろうけれど、それは観客に対しては説得力を持たない。
強いて言えば、暗くてだだっ広いところに独りで投げ出された感覚、ということは出来るけれど、そこまで。
ヘッドフォンがなくとも、観客の想像力を拡がりのある方向へと刺激する手段はいくらでもあったはずなのに
(僕は、この芝居を観ながら、アポロ獣三を産み出した夢の遊眠社って凄かったんだなあ、と思っていたし)。

難民・不法移民の話が嫌だと言っているわけではない。が、生真面目に「それは可哀想」という語りをストレートに話しても、それはガガーリンとは関係ない。
難民・不法移民ネタに頼って観客に最後まで真面目に観させようと思っているのであれば、それはテーマに対する甘えだろう。
社会的問題意識を「観客に訴えかける」方向で芝居を組み立ててしまうと、創り手の想像力も、芝居の拡がりも、細っていく。その好事例。残念な芝居だった。

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