28/10/2007 マチネ
誠に申し訳ない話なのですが、やっぱり今回も、冒頭から、「山の手事情社の文法って何だろう」と考えながら観ざるをえなくって、じぃっと考えなが ら観てたら、何とマイルスのクィンテットがかかって、あれ、文法が違うものを観ているのにいきなり慣れ親しんだ音楽が、と思ってたら、落ちた。従って、前 半一部見逃しがあります。
が、その後一歩引いて考えてみるに、
・ 語り
・ 体の動き
・ 台詞
・ お洒落ダンス(と呼ばせてもらいます)
をそれぞれ「ありのままに(自分の文法を一旦忘れて)とらえて見てみる」所に立ち返って意識してみると、実は面白いことが起きているようにも見え てきた。で、語りと台詞のバランスは、芝居の進み具合=スピードの変化に貢献しているのだな、なんて思ってみていたら、話が盛り上がって終わってしまっ た。
どういう問題意識を持ってこのようなみせ方になるのか、興味はあるけれど、「古典劇を現代衣装で、お洒落ダンス付き」というと、コンプリシテの尺 には尺を 大外れ芝居に似たところがあって、ちょっと個人的には受け付けない。「青い鳥」の時にも思ったのだが(そして今回も同じことを繰り返し考えてしまったのだ が)、既存のプロットを持ってくるんでなくて、現代を舞台にしたらどんな芝居になるのか?それが観たい気が大いにしている。
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