20/10/2007 マチネ
弘前劇場の長谷川氏の作・演出、役者陣日本勢はやはり弘劇からと、一部オーディション合格者で構成。きちんとやればしっかり観れる芝居になるはずだ。
と、どこを取っても力のある集団なはずだから敢えて言えば、出来の悪い芝居だった。
全体を通じて、「場」が作りきれていない印象。新築の美術館だからまだ場所に匂いがついていないんだ、ということかもしれないが、それにしても、様々な人間関係が交錯する場であるにもかかわらず、そういう空気にならないのは何故か?
弘劇の役者陣も元気なし。なんだか紋切り型。寺山リヤカー劇場の2人組、いつも楽しみにしているんだが、今回は設定がまずいのか、いつまでたっても試合に参加できずに終わってしまった感じである。
日本語・英語・韓国語を使い分けた戯曲なんだけれど、日本人役者の英語は、あれなら止めたほうが良い、というくらい棒読みで、
「英語が完全ではない日本人が、言葉を選びながら非母国語としての英語を話す」
リアリティからは極北にあった。それも興ざめ。
どうしても、そういうバラバラ感が先に立って、どうにも辛い芝居だった。
韓国組(コルモッキル)は対照的に面白かった。観られた。場を作る力と、特に、「母国語で無い言葉で場が組み立てられて何かが話されている時にど んな態度をとるか」への想像力。なんだか見てしまった。考えてみると、そもそも弘劇って、津軽弁と標準語、秋田弁等々が触れる場で違和感を自覚しつつ場が 成り立つ芝居をしてたと思うんだけれど、何故今回に限って日本人の役者の反応が紋切り型に見えてしまったのか?
と、そんな風で場が組み立てられない中でのラストの長ゼリは、つらかった。いや、ホント、何でこんな出来になっちゃったのだろうか?不思議だ。
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