14/10/2007 マチネ
全席自由席ということもあったが、シアタートラムの前にあんなに行列が出来ているのは初めて見た。そして、久し振りに、芝居小屋に入る前の客の気 合というものを感じた。あの、静かな期待感は、最近ではなかなかお目にかかれない。かつ、障害者が出演しているということもあり、障害を持った観客も多 い。
いかん、この雰囲気に気圧されてはいけない。芝居は芝居としてきっちり観ねば。
「障害者でもこんなに出来るんだ」という感想になりませんように。前置きなしで「この芝居は素晴らしい」と言えますように。そう思いながら客席に入る。
第一部。Stepping Stones。この雰囲気は、キルバーン・ハイストリートのTricycle Theatreで夏休み企画で演じてる子供劇の感じだ。要は、真面目で、人柄の良い芝居で、悪くないはずなのに、やっぱりぬるい。演出のジョン・パルマー 氏の人柄によるものも大きいと思う。このイギリス人男性によく見られる妙にぬるい優しさは、往々にしてマイナスに働く。役者のレベルをさっと見た限りで は、もっと厳しい芝居が出来るように感じたのだが。と思って、はっとチラシを見返すと、「原作はイギリスの子供向けに書かれたファンタジックな作品」とあ る。そうか、子供劇か。うーむ。イギリスの子供劇の妙なぬるさが、そのまま来日しとる。もっと厳しい芝居が観たい。子供劇ならそういうものとして、真剣に 子供だけに見せたほうがよかったのではないか?
で、第二部は、まさに厳しい芝居となった。ロルカの血の婚礼はべたべたのどろどろな話なのは周知の通り。それを題材に、手話・言葉・身振り・日本語・英語を使って、気の抜けない濃密なコミュニケーションを力技で編み込んでいく。この迫力は芝居の醍醐味だ。
コミュニケーションの編みこみの説得力という点で、ジェニー・シーレイの意図が明確に伝わり、かつ、その意図を超えてゴツゴツと力のある空間が生じていた、と感じた。
隣人を演じる福角幸子、気合みなぎる。自分の背中を自分で観ることができた時にユーモアが生じる、と誰かがいっていたと思うが、そうだとすると、 障害のある自分を見つめ、演じる自分を見つめ、自分の視点と合わせて3つの視点を上空から鳥瞰して舞台に立つこの女優にはとんでもない高次元のユーモアが 溢れているとでも言おうか。こないだ観た唐さんと同じくらい目の離せない役者だった。これは、色物ではない。
この面子ならもっといろいろなものが観れそうな気もする。今後も、特に、Jenny Sealeyが引き続きこういう厳しい芝居を日本でも見せてくれますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿