2007年10月7日日曜日

文学座+青年団 その行間まで、100km

06/10/2007 ソワレ

つらかった。
餓死した母子の母の手記と、そこに書かれた日付・時刻での自らの高校時代を照らし合わせて、そこに生じる「自分の」感慨が舞台に載せてある。
その感慨を舞台を使って観客に説明してくれても、少なくとも僕の何かを刺激するものにはなり得なかった。

テクストを「読む人」たち。彼らの声はどこへ向かうのか?僕にはそれが、行き場も無く中空をさまよっているだけに聞こえた。中途半端な抑揚やおどけがその辛さを目一杯誇張する。
「そもそも、手記のテクストだってどこへ向かうというわけでもなかったのですから」
という向きもあろうが、それを口に出したとたんに、作者にテクストの何が響いたかを探る糸口は完全に閉じてしまうだろう。

同じ、活字になったテクストを舞台に載せる試みでも、燐光群の「放埓の人」は格段に上出来だった。読み手(黙読)としての坂手洋二と、読み手(音 読)としての役者達と、身体と、役のキャッチボールと。そういうごった煮を舞台にぶつける中に生まれる隙間に、観客はスルリと割り込んでいくスペースを見 つけることが出来た、気がした。
今回の公演にはどうにも入り込む余地が無い。

また、「演技」もつらかった。なぜテクストを読み上げる母の声はあんなにも辛そうなのか。なぜ腰を曲げるのか。そこに作・演出の想像力はどう働いているのか。観客はどこに想像力を働かすのか。どうにも厳しい。

唯一何かが起こる予感がしたのは、寝たきりの息子の足の裏だけだ。そこには何かが生まれる気配があった。気配だけだったけど。

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