07/11/2009 ソワレ
この作品には、小生自身「字幕用英訳担当」として参加しているので「観る人」に徹した観方はどうしてもできないのだけれど。
とっても褒めたい。そしてとっても貶したい。
ということでしょうか。
ここまで明確に松井周の世界が舞台上に焼き付けられてしまうと、観る側に残されるのはその世界に対する好悪でしかないのではないかと思われてくる。松井氏によれば、顔合わせ・本読みの頃から参加者が「全く分からない」っていう顔をしていて、でも、松井氏本人にはこの話は当初から極めて明確だった、ということなのだが、僕ももちろん「分からなかった」。今でも、「分かる分かる」と言ったらウソになる。
松井周本人がどう思っているかは分からないけれど、今回の舞台には、かなり明瞭にその「彼にとっての明らかな世界が」載っかっていたのではないかと推察される。
だから、観終わった後、「この芝居は、悪い評判が立っても不思議じゃないな」と思ったのだ。実際、「関係者席」に座ってた招待客2人組は、途中で帰っちゃってたし(もちろん、招待を受けておいて終演まで残らないで帰ってしまうような「お忙しい」方は、最初から観劇には向いていない人種だと思いますが)。
で、じゃあ、松井氏の嗜好が僕のストライクゾーンかと言うと、それも全くそうじゃなくて、じゃあ一体僕はサンプルの何を面白がっているのかってことになる。難しい。
2006年に帰国した初日に同じサンプルの「地下室」を観て、「ちょっと久し振りに日本に帰ってきたおじさんには刺激が強すぎて・・・」と思ったのを思い出す。また、東京デスロックのLoveを観て、想像力の進み具合についていけない、もう、振り落とされてしまいそうだ、と感じたことも思い出す。
何だかトンでもないものを観てる気はする。もう一度、字幕つきのバージョンを観に伺うので、それまで考え続けることにはなると思います。
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