2009年6月15日月曜日

東京デスロック Love (桜美林バージョン)

14/06/2009 マチネ

2年前の初演時に比べて、やってることに自信が満ちて、良い意味で生硬さが抜け、豊かな再演になったと思う。明らかに倍音が増えて、音色が豊かになっていた。

初演時に思ってたことは、ちょっと長いけど、こんなこと。
http://tokyofringeaddict.blogspot.com/2007/10/love3.html

(以下、抜粋)***********************
「LOVE」では、その3人の「世界」「背景」すらも取り去った状態から芝居が始まる。背景の無い剥き出しの身体を舞台に載せたところで、どうやって虚構を紡ぐことができるのか。(中略)虚構の梃子の支点は、次の2つ:
①音楽。「これ、誰がかけたんだ?」と考える、つまり、何らかの意図を感じた途端に、世界が広がる。
②夏目登場。この男の、まるっきりコンテクストに囚われない立ちは何なんだ?強烈に色んなことを考えてしまう。

"LOVE"においては、観客は、すごく少ない小さなチャンスに自分の想像力を賭けることを強いられているのではないかと。少なくとも僕はそう感じた訳です。そういうきっかけを探しに行かないと入り込めないように出来ているのではないかと。

多田氏は、そうやって勝手な想像力が膨らむことを観客に許す。いや、勝手に膨らませることを強要する。そのための仕掛けだけはちょっとだけ残しといてくれている。その「ちょっとだけ」が、どんどんデスロックの芝居から剥ぎ取られていく。
(抜粋おわり)***********************

豊かになったってことは、観客が妄想力・想像力を働かせるきっかけが、役者の立ちも関係のとり方も、色んなものひっくるめて、多くなったんじゃないか、ってことだと思う。剥ぎ取ったところから、逆に豊かなものが、「寄り添うべき物語・設定等々」を介さずとも、妄想の枝葉に繋がってくれる。そして、そういうきっかけを散りばめても、「ありがち」にいかないように気配りがしてあって。なんか、すげーなー。
芝居って、楽しいよなー。 そう思ったんです。

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