18/06/2009 ソワレ
乞局、ほぼ1年ぶりに拝見。
文字通りの神話というか、物語の共有というか、そういうものを割りと正面から取り扱って、まさに「いわゆるストレートプレイ」である。
脚本的・演出的にリスクの多いことをしていると当パンには書いてあるけれども、変なリスクがあるようには見えずに観ていられたのは下西氏の力量か。
そうなるとやっぱり気になるのは、近頃僕の頭に取り付いている「物語の所在」ということ。つまり、どうやってそこらへんにうじゃうじゃしているゲル状の物語の素を引っ張ってきて、「これが物語ですよー」といって提示して見せるか、あるいは共有するフレームを作るか、それとも強弁してみるか、ということなのだけれど。
この「芍鸝」は、プチメタ構造も含め、そこに対してはわりとストレートにぶつかっていて、そこには大きなリスクは無いだろう。そうすると、この芝居のリスクと言うのは、そうやって、上に僕が書いたように、「これって、神話の創生と崩壊と再生の話ね」と、チープな客にチープに括られてしまうリスクなんではなかろうか、と、これは半分自己批判入りつつ、考えた。
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