2009年6月21日日曜日

太田省吾へのオマージュ 更地

19/06/2009 ソワレ

素晴しい戯曲。演出・役者、オシイ!美術、良し。
ということで割合に気持ちよく家路につけるはずだったが、アフタートークでかなりの部分、ブチ壊し(この4文字、MSPゴシック48ptのつもり)。

拝見しながらずーっと、「あー、これ、いき座のお2人でやってくれないかなー」と思っていたのだ。舞台上に載せられた9×9=81個の"mundane"な、ありふれたモノたち。それとマッチするかのように、戯曲に書かれている台詞もそのmundaneさを備えていて、まさに「台詞をおきにいく」とピッタリくるんじゃないかとおもったり。

下総・佐藤の中年ペアは、ややもすろと、そういう、本来余計な色を削ぎとったところで充分面白いはずの台詞に着色してみたり(おそらく、一語一語から生まれるはずのイメージをニュアンスにこめて、とか、そういう作業をしていると思われた)、もっとゆっくり、自分の間合いで続けて構わないところで先を急いだり、というところがあって、それで、あー、これは、いき座で、狭い小屋で、かつ、役者が動けないように、妙に捩じれた格好で縛られてたら最高なんじゃないかなー、とか思っていたんである
(大変勉強不足な小生は、この戯曲の初演が瀬川・岸田ペアで演じられていたことを全く知らずに、上記のようなことを考えていたんである)

16歳の頃を語るシーンで一瞬力が抜けかけて、ふわっと浮きかけたが、そのまま、ズンズンズンズン演出家が意図するスレッドから逸脱してくれてたら、と、そこが惜しかった。

アフタートーク、美術の小山田氏のトークは面白く、特に、81個のモノたちの動きについて「動くと意味が付きそうでしょ?でも、意味がついているような居ないような、それくらいの動きにしたかった」というのには非常に説得力あり。が、そこでうなづいていた阿部氏、何でじゃあ、意味を着色するような演出を敢えてしたのかなー、と思ってたら、その直後に、「自分が勝手に着色した意味」について滔々と臆面も無く話し続けた!「自分の解釈押し付けるようなチープなトークしてんじゃねー」(ここの部分DF特太ゴシック72ptでお願いします)と思わず頭に血が上って、知人へのアイサツもそこそこにして、毒を振り撒かずに退散した。

アフタートーク、もう、いやだ。

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