07/03/2009 ソワレ
僕の好きな役者が5人舞台にいて充分に持ち味を出せば面白くないわけはないので、実際、とても面白かった。
平田オリザは「悲しい時に靴下の臭いを嗅ぐ人間もいるかもしれない」と言ったが、松井周は「悲しい時にオナニーする男は絶対にいる」みたいなところで芝居を作っている。と思う。
この「火の顔」と言う戯曲は、ドイツ人の若い戯曲家の手になるらしくて、引きこもりの弟と近親相姦の関係にある姉と、その両親と、姉のボーイフレンド、なんていうベタな設定。そのまま舞台に載せたらとても観ちゃいられないだろう戯曲を取り扱って、うまーく観客の眼が単線にならないように演出をつけて、2時間持たせる。
サンプルが三鷹でやった「カロリーの消費」と同様、舞台の間口一杯、べたーと横にのびた舞台が、観客の意識を分散するのに手を貸していて、かつ、左右の勾配、テーブル兼床の微妙なカーブが役者の動きにカラーを加える。杉山美術、良し。ただし、テーブルダンスもどきだか(雌鳥の中のナイフでみたような)男根の象徴だかわからない下手の柱はちょっと。
5人とも良い役者なので改めて個々で誉める必要は全くないけれど、野津あおいさんの顔つきが大人になっていてハッとした。「大人になっていた」というのは、言い換えると、表情の倍音が増していた、ということだと思う。そういうのもあって、虫の眼の観客である小生、松井演出を堪能したのだが。
が、疑問として残るのは、「なぜ、こんな戯曲を選んだのですか?」ということ。いかにも、ドイツやイギリスの劇評で採り上げられやすい、
「センセーショナルでございます」
だけが売りの、文字通りのマスかき野郎に自己満足マスかき長台詞を話させるような戯曲を、何故採り上げたのですか?ということ。
こんな戯曲が演じられるのを観るよりも、松井周の歪んだリビドーがもっと前面に出た芝居が観たい。「パイドラの愛」の時も思ったけれど、こういう、マイナスから始めて若干のプラスで落ち着くような仕事は、あんまりしてほしくないなぁ、とも思った次第
0 件のコメント:
コメントを投稿