2009年3月2日月曜日

リミニ・プロトコル カール・マルクス:資本論、第一巻

01/03/2009 ソワレ

千穐楽につき超満員。通路も一杯、旧体育館の2階側廊部分に立ち見の観客も入れての公演。
オリジナルの8人のキャスト(おそらく旧西ドイツの出身者5人、東ドイツ出身者3人、ラトヴィア人1人)に加えて日本人4人の総勢12人が語る、それぞれの資本論。

金融資本主義が行き詰ったからこれからはマル経の復活だ、みたいな物言いとか、1985年生まれ革命家ワナビーサーシャの「Viva Chavez!」のポーズでキメ!にはサーッと引いちゃう所もあったけれど、そんなものは小さい小さい。

当パンに素晴しいこと書いてあるのでそのまま引用すると、
「この作品の場合、演出がこれをどう読むかということではなく、一体だれがこれを読んだのかということが問題である。この本の内容よりも、現代社会においてこの本がどんな位置を占めているのか、誰がそれを使用し、知っているのか、ということが主題なのであって、政治的なカラーや経済的な実践は問題ではない」
これが、このパフォーマンスの全てだ。もっと言えば、
「出演者個々人の人生のある局面においてこの本がどんな位置を占めていたのか」
が問題なんだ。

だから、流行らないマル経信奉者であるところの大谷先生の「立ち」「佇まい」に、思わず涙が出るのです。サーシャや佐々木氏のアジ演説まがいを見る元闘士ノート氏の眼差しに不覚にも感動しちゃったりするのです。

ロンドンの英語学校で一緒だったドレスデン出身の女の子が、「それでもやっぱり資本主義は好かない」と言いながらアメリカに留学してったのを思い出す。

マルクスみたいなとっても頭の良い人が一生懸命世の中の色んなことを一つの理論で切って切って抽象化して、一つの世界にまとめて提示してみせた、その結果としての資本論が、大月書店の文庫本として極めて具体的に客席に出回ると同時に、同じくらい極めて具体的に個々人の生活の局面で生き得る様に、めまいがする。そういうめまいのするような、吐き気のするような、世の成り立ちを、叫ばず、騒がず、盲目のクリスティアンの微笑と優美な指先の動きのように、ユーモアたっぷりに提示してみせるパフォーマンス。素晴しい。

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