2008年4月27日日曜日

パラドックス定数 HIDE AND SEEK

26/04/2008 マチネ

呉一郎=攻め、夢野久作=受け。
おお、いかんいかん、素人筋がこんなこと不用意に言うと手ひどく火傷する。

とはいうものの、パラドックス定数、相も変わらず男優だけ使って、野木萌葱の掌の中で虚実、いや、受け・攻め入り乱れて、昭和の初めの探偵小説界 の愛憎模様を描くやをい芝居。であるのだから、その筋にえんもゆかりもないあっしとしても、受け・攻め考えざるを得ないのである。

「でも、そのきっちり創られた世界って、芝居である必要はあるのか?」
と言われたことがあって、そこのところは「芝居として」今回確かめたかったポイントではあった。結論は、やっぱり、言われたとおりで、「芝居でなくても良い」んだな。

それでもなお、パラドックス定数の芝居が面白い、また観に行こう、と思ってしまうのは、野木萌葱が舞台に載せるものが、「現実の解釈と表現」「古 典の解釈と表現」というありがちな限界からは明らかに一線を画したところで、「妄想の発露とその拡大」を焦点として組みあがっているからだと思う。

役者の演技を割りとぎちぎちに縛って、自分の世界を作りこんだこの芝居、確かに「身体性」をきっかけにした芝居ならではの「想像力・妄想へのジャンプ」へのリンクは弱い。が、それと違うところで妄想力を発揮できる人にはこたえられないのんと違うかな?

すくなくとも、観客が作品を観る中で、どこかに「自らの妄想を主体的に発火させる」妄想スイッチがオンになる瞬間があれば、創り手の勝ちなのでは ないか、と僕は考えていて、その意味で、この芝居は「勝ち組」といってよろしいのではないかと思う。今回、ラスト10分はちょっと理に落ちて辛かったとは 言うものの。

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