2008年4月8日火曜日

青年団若手自主企画 御前会議

07/04/2008 ソワレ

初日。この芝居の初日に立ち会えたことが、自慢です。自慢しちゃう。

この芝居が何故ここまで自分にとって面白いのかは、実はまだ整理がついていない。
いくつかポイントを挙げるとすると、

① この「歌わないミュージカル」という試みは、
  A. ミュージカルって、ウソだよね。人間あんなふうに喋らないよね。
  B. 新劇って、ウソだよね。人間あんないいお声で喋らないよね。
  C. でも、青年団の芝居だって、ウソだよね。だって、タイミング計って台詞言ってんじゃん。
  D. チェルフィッチュだって、ウソだよね。全部タイミング計ってるもんね。
  ということを、暗に言っているのだ。アプリオリに「役者が『リアルに』台詞を喋ること」を受け入れてしまうことのウソさ加減に気付けよ、と言っているのだ。
でも、結構自分でも明示的には気付いていなかったんだ。ずっと。

② 英語は日常会話で歌う言語である。日本語は日常会話で歌わない言語である。
と言い切ってしまっていいの? と突きつけてくるのだ。
ちなみに、イギリスの役者は、シェークスピアの全戯曲が、
タ・ター・タ・ター・タ・ター・タ・ター・タ・ター
のリズムで出来ていることをまず叩き込まれると聞いたことがある。
でも、イギリスの役者って、そんな戯曲を「普通に言う」って努力をするんだ。どういうこと?
日本語はどうだ? 日本語戯曲はどうだ?

③ こんだけ役者を縛っておいて、そこから立ち上がってくるものって、何だ?

④ 芝居の「一回性」ってなんだ? 再現可能性って何だ?
  クラシック音楽のコンサートの一回性って何だ? 再現可能性って何だ?

⑤ (これ、ちょっとネタバレ注意です)
台詞をビート(あるいはリズム)に乗せる試みは、最近でも、
A. 三条会の「秘密の花園」の冒頭メトロノーム
B. Collolの、パーカッションつきリーディング
C. 今回
と三通り観たのだけれど、その意図するところは全然違っていて、でも、例えば三条会が何を達成しようとしていたのか、とか考え出すとまた難しくなっちゃう。

いやぁ、でも、これら5つのポイント、どれも外れてそうな気がして、いやになる。
いずれにせよ、何だかとんでもないものを観たという感じは未だにしている。

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