2008年3月17日月曜日

ムネモパーク

16/03/2008 マチネ

鉄道模型ファン狂喜乱舞の舞台パフォーマンス、だったと思う。少なくとも厳格な意味での「芝居」とは呼ばないだろう。「だったと思う」という理由は、僕が鉄道模型ファンじゃないから。

1/87の鉄道模型ファン4人(平均年齢72.5歳)と役者1人、手作り楽器の音楽家1人。Mnemo Parkというくらいなのだから、何らかの形で「お年寄りの記憶」についての話になるだろうという予想はついたが、まさか鉄道模型搭載のカメラ・及びその スクリーンに混在して映し出される実写映像とシンクロして模型操作者達が演技し、過去を語る趣向とは、なかなかもって、鉄道模型を超えてオタクっぽい。

全体の筋書きの中に挿入されるボリウッド映画の筋書きがカシミールを舞台にしているのはどういう意味があるのだろうか? 長い間風光明媚、異宗教 が共存し独自の文化を築いたカシミールとスイスとを対比させているのか? などと難しいことをついつい考えるが、そんなことを考え出しては素直にこのパ フォーマンスを楽しむことは出来ないだろう。案の定、ボリウッド映画の多くがスイスロケをしてるから、という何だかそっけない理由ではあった。

なんだか、カシミールの話にしても、「肉の山」にしても、スイスの牧畜業の話にしても、シリアスなのかそうでないのか、何らかのコンテクストに結 び付けたいのか結び付けたくないのか、老人一人ひとりの「記憶」と、その手が確かに生み出した成果としての「モデル」をどう結び付けたいのか結び付けたく ないのか、それがどうにも見えてこないのは、まぁ、なんにせよ、

①この舞台にあって最も存在感を示していたのは鉄道模型とジオラマであったから。
②舞台の上にいて、老人達が最も生き生きと語ったのは鉄道模型についてであったから。
③でも、老人達が最も得意げな顔を見せて輝いたのは、上演後に、「観客の皆さん、舞台に降りてきて、近くで模型をご覧になっていいですよ」と言ったときであったから。
と、こういう理由なのだろう。

要は、演出家の考えたプロットは、鉄道模型を超えられなかった、ということになる。
色々な趣向や、知られていない数字や、事実や、歴史や、そういうものを組み合わせて舞台に載せてみても、やっぱり、バーゼル鉄道模型友の会まで出かけて、そこで彼らと2時間色んな話をするほうが、なんの先入観もなく、もっと面白いに違いない。

いや、このパフォーマンスも面白かったのは面白かったのだけれど、それは、実は、
「パフォーマンス自体が面白かった」というより、
「パフォーマンス自体を楽しんでいる老人の姿が面白かった」という方が正しい。そしてそれは、この老人達が「ずぶの素人であるに相違ない」という、僕が立てた前提に基づく。

ただもし、この老人達の語る過去が全てフィクションで、舞台上の鉄道模型も実はこの舞台のためだけに作られていて、老人達の素人っぽい所作が全て演出の成果であったなら、その時は脱帽しよう。そうでなければ、やはり、バーゼル鉄道模型友の会まで出かけた方が面白そうだ。

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