2007年6月17日日曜日

風花水月 ホタルカワ

16/07/2007 ソワレ

チラシに前田司郎氏が「面白いかどうかは何ともいえませんが、とりあえず観てみて判断しても良いじゃないかな、と思わせるくらいの何かはあるんじゃないかな、と思わせるくらいです。まあ普通じゃないでしょう」と書いていたので、観に行った。

確かに、芝居って、観てみないと判断できないのが醍醐味なので、それは当たっていた。でも、「普通じゃない」というのは、外れていました。

祖母の葬儀にやってきた四人きょうだい。そこで展開する微妙な人間関係のさざなみ。設定としてはスタンダードで悪くないでしょう。

ただし、だ。
・ここがどこかという舞台設定の状況説明に30分はかけすぎ。嫁の台詞が、おしゃべりに名を借りた説明台詞の連続技である点について自覚できているか?これでは役者がかわいそう。
・続く20分が4人きょうだいの現状説明のおしゃべり。これも時間かけすぎ。
→ この50分間、芝居は一切立ち上がる気配を見せない。90分の芝居でこれは致命的だ。

アンケートにも書いたけれど、1時間15分くらいのところで、夫婦が頭を下げるシーン。ここから芝居が立ち上がる気配を見せる。でも、すぐ終わりに差し掛かっちゃうんだよね。
例えば、岩松芝居だったら。
「暗転板付き。畳の上で頭を下げている夫婦。"まぁ、頭上げてくださいよ。フフフ"で夫婦はけて、そこからダラダラと会話続きつつ、冒頭の夫婦の投げかけたテーゼを巡ってきょうだいの今の神経症的関係性と過去の生い立ちが...」
例えば、平田芝居だったら。
「夫婦が頭下げているところに葬儀場の係りの人が来て、段取りのことで夫を呼び出す。そうこうしているうちに、夫婦がしたい話はなかなか出来ず、話が進まなくて観客いらいらする...」
例えば、前田芝居だったら。
「暗転板付き。三女がトランプぺしぺしめくりながら、"売る、売らない、売る、売らない"とひたすら花占をやっている...」

そういう展開の方が、面白かったんと違うかい?分かった口のきき方をして申し訳ないけれど。
結論は: 説明台詞を削るのには命を賭けろ。いくら姑息でも構わない。

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