23/06/2007 ソワレ
そうだ。きっと、これは、「女子」な芝居だったんだ。
この芝居のコンセプトというか、意図が、僕にもずっとつかめないまま丸2日経ってしまったのだけれど、今、そんな気がしだした。
ただし、よくありがちな、「女の子」を前面に出したパフォーマンスではなくて、むしろそういうものにひっついてくる「観たくないもの」を削いでいった結果を舞台に載せたのではないか?
その結果残ったものが、舞台の上に散在する形で提示されたのであれば、それは、僕が春風舎で感じたこと:
・舞台の上の「個」の細部に注目することは非常に面白い。
・でも、全体を通した横糸が見えない。あるいは、見えてしまいそうになると逆に引いてしまうかもしれない。
そういう感想と、整合性が取れる気がする。
そもそも、男子にとっては、女子に横串を通した理解は不可能で、そんなことにくよくよしていてもしょうがない。
なので、僕に言えることは、「観ていて面白かった」ということだけで、それ以上の深い洞察は女子に任せておきます。
印象に残ったのは申ソゲの蛇のとぐろが、二回目に登場したときには短くなったこと。後半の「脱ぎ脱ぎシーン」では、きっともう一段脱皮して、両生 類だか卵だかよく分からないものになるんではないかと期待してしまったが、皆さん普通に(?)脱いでいたので、期待はずれでした。
(おそらく、そういう5流のストーリー性も、芝居を作る過程で排除されたのだと思う)
記号としての「女子っぽいもの」で女子らしさを判断されることに我慢がならない女子達による女子の世界の提示、という意味で、この芝居は僕から遠く離れたところにあり、また、その手と理解の届かなさ加減が一種の憧れを生み出した。のかな?
少なくとも、「女優さんたち、みんな、素敵でした」という台詞は吐かせない、という気合は漲っていたぞ。
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