2007年6月19日火曜日

グリング ヒトガタ

18/06/2007 マチネ

上手い。上手い。も一つついでに、上手い。
とても上手く書けていて、凡百の戯曲家志望が来ていたらもういやんなって戦意喪失しちゃうくらいに上手く書けている。

登場人物の設定、過去の経緯、深刻一直線にもっていかない外し方。キャラクターも直球、変化球、ナックルボール、頭を狙ってくるタマ、と使い分けて、観客に的を絞らせない。飽きさせない。本当に(良い意味で)隙の無い、ズルい書き手だ。

で、この非常に出来の良い芝居を、僕は、
「いつ、どこで、ウェルメイドに落ちるだろうか」
とハラハラしながら観ていたのである。ウェルメイドまであと1㎜。そこで僕はこの芝居に興味を失うだろう。
と、一方で、
「なぜ、僕は、そういうネガティブな期待を半分抱きながらこの芝居を観ているのか」
とも考えていた。

その理由は、敢えて挙げるとすれば、
「観客がキョロキョロと視線を泳がせる余裕が与えられていない」
ことかな?それには、多分、二つの要素があって、
・余りにも隙が無いので、役者が駒として動くのは当然としても、観客の視線までもが作・演出の意図に100%はまるように作られているから。
・芝居のペースが割合に速くて、余計なことを考える暇が観客に無いから。

僕としては、「ちょ、ちょっと、待ってください。もうちょっと、この芝居から思いもよらぬ破れが裂けて出てくる瞬間を探させてください」と言いたくなる。
それを許さない、という意味で、非常に厳しい芝居であるともいえる。
はなから「客に100%与える」だけの芝居に走っていたら、それは、ただのウェルメイドなのだろうけれど、どことなく、僕には、「観る側の力を試されている」ようにも感じられた訳です。

次も観てみたい。目の玉をひん剥いて観てみたい。ウェルメイドに落ち込まない裂け目を、今度こそ覗いてみたい。でも、もう半分は、「ちぇ、ウェルメイドだったぜ」になるかもしれないというネガティブな期待感。本当はどっちだ?

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