2007年4月2日月曜日

ニットキャップシアター 彼岸の魚

01/04/2007 マチネ (一部途中からネタバレあります)

芝居の作り方 - 面きり、役者のキレ、ナゾの展開、ロジカルに筋を掴もうとする客を突き放す不条理な展開 - が何だか80年代っぽい。

「存在と記憶」がテーマとのこと。記憶そのものが曖昧にしか紡げない、また、勝手に紡げてもしまうものだ、ということであれば、記憶に立脚する「存在」感は極めて曖昧となる。
だから、この芝居のシーンの一つ一つについても、もしかすると、ヒロインが勝手に紡いだものかもしれませんよ。でも、これは芝居ですから、ヒロインではなくて、他の誰かが勝手に紡いだ記憶かもしれませんよ。
と、上演中、ずっと言ってるんである。この芝居は。

<ここからネタバレ>


結局最後まで真相は明らかにしないし、明らかになる必要も無い。
ここが、鐘下辰夫の「セルロイド」がつまらなくて、この、彼岸の魚が、苦しいながらも、また、陳腐な「私って一体何ナノ?」的なところに足をとられながらも、最後まで何とか辿り付けた理由かな。

でも、もっと言ってしまうと、わざわざ事態をこんがらせなくとも、舞台に対して、どのシーンが誰のどのような現実なのか妄想なのか、というフレームを嵌めたがる観客からすれば、いろんなフレームを逆妄想する余地はあるわけです。
例えば、平田オリザの戯曲だって、どリアルと見せかけて実はすごく虚構だし、じゃあ誰の視点なのか、と言うことだけでもかなり遊べる余地がある。

この芝居に余地がないかといえば、ありました。でも、だからこそ、その、観客の妄想の余地をもう一段バールでこじ開けるような芝居を期待したいです。出来ないことはないと思います。

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