2007年4月22日日曜日

モダンスイマーズ 回転する夜 (ネタバレあり)

21/04/2007 ソワレ

当日券で入ると、前から2列目、下手壁際の席に案内される。いわゆる、オリパパポジションである。そして、僕の好きなポジションである。
最前列のさみっと伊東氏、だいま氏の前を通って席に着く。
が、右を見ると、そこにはいき座の土井通肇さんが!何と、僕が来なければ土井さんが前から二番目最下手の席にいたということか?
「最下手壁際前列は、じじいポジション」
ということで、モダンスイマーズ初見。
(土井さん、ごめんなさい。が、僕がとても緊張していたのはお判りでしたか?)

感想は「悪くない」。
内容は「のび太のクリスマスキャロル」。

ネタバレにならない範囲で言うと、
・古川悦史氏、顔が藤井フミヤに似てないか?
・「だらー」「っち」って、どこの方言なんだろう?現実に聴いたことがないということは、僕の行ったことがない地方の方言か?気になる。
・全体に、もうちょっと、ネジを締める余地のある出来上がりだった気がする。間をとるとか、色々。そうすると、1時間30分の枠の中で、もうちょっと遊びが入れられたのでは、とも思った。



<以下、オールネタバレです。>




芝居の構造はシンプルで、まぁ、夢落ちなんですが。
「過去の1つのポイントに戻って、現在の自分に至るコースを変えられたらいーな」
というモチーフは、古典的な、古くはのび太くん、あるいは代紋TAKE2に見られ、かつ、恥ずかしながら筆者自身も時々風呂に浸かりながらそんなことを考えてたりする、とってもはずかちいネタなんである。

スクルージはクリスマスイブを起点に現在・過去・未来を回転させて、幽霊とともに時空を巡り、改心して未来へ踏み出すが、この「回転する夜」の主 人公のうらなり君も、過去の1点を軸にその後の未来を組みなおそうと試みて、まぁ、ラスト、夜が明けてから、未来に向かって一歩を踏み出すと。

よって、のび太のクリスマスキャロルである。
ジャイアン、しずか、できすぎくんもいるぞ!
あ、これ、褒め言葉ですので誤解なきよう。僕はPatrick Stuart のクリスマスキャロルは大好きだし、ドラえもんは言わずもがなの名作ですよね。
3回転目に入ったヒネリも、非常にストレートかつタイムリーに入って、効果的でした。

で、以下、僕が一番考えていたことについて。
1つのシーンを繰り返すとき、(この芝居では、現在の夜が5回、何年か前のターニングポイントのシーンが4回、回転しつつ繰り返されるが)、客は何を観るのか?あるいは、何が観たいのか?
そこに、去年の小生一押し芝居、東京デスロックの「再生」との比較が割って入る。

デスロックの繰り返し(全力投球ラジカセ唱和絶叫宴会ダンス大会を3回繰り返し)で立ち現れたのは、繰り返しの中に出てこざるを得ない裂け目、ひ び割れ、といったもので、個々の役者の体のパーツ、立ち位置、呼吸のあらさ、汗、小道具、つぶれる声、そうしたものに、どうしても眼が行かざるを得なかっ た。

一方、「回転する夜」の観客は、「次を予想する」観客である。のびた=うらなり君の思念によってコースの変わった歴史が、一体どう動くのだろう? きっとみなそれを考えていたはずだ。おそらく作者の意図でもあると思う。結果、繰り返しの糊代の部分は、「休み時間」になってしまう嫌いがあったのではな いか?役者陣、けして悪くなかったので、それは勿体無い気がする。

観客が次の展開を読むのを放棄してしまうぐらいに瞬間瞬間の役者の立ちが面白い芝居の方が、僕は好きだ。
この蓬莱さんという人もかなりのてだれと見ましたが、こういうフィクションの交錯、物語のコースの迷走の中で一気に読ます人といえば、実は、芝居 ではなくて、奥泉光さんの小説に、現在では止めを刺します。奥泉さん張りの構造を芝居で見ちゃうような日がいつかくるのだろうか?

と、寄り道したけれども、この芝居、全体にペースを上げて、時間を短縮して、その短縮した時間を使って、Back to the Future ばりの遊びのシーンを、やっぱり間をとらずに入れ込んで、それによって、繰り返しが難しくなっちゃったりして、それを役者に寸分たがわず繰り返すよう要求 したりして、役者辛い、演出厳しい、観客嬉しい、ウヒ、ウヒ、ウヒヒヒヒヒヒ......という、もっと危ない芝居にもなりえたとも思うんだけれど。

...忘れてください。テレビ局からの花も届いてましたが、これくらいのレベルで収めた方が、幅広い方に楽しんでもらえるんだと思います。

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